2016年12月22日

審判することの難しさ2016

館長備忘録 セカンドシーズン(53)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには

これを確認しておかないと
前に進めない気がするので
過去の備忘録を加筆してみました。
少し長いよ。

先日の学生剣道オープン大会でも審判しながら感じたのですが
審判することの難しさ・・・

最初に
「速い動きを審判することの難しさ」

一般に、
剣道の技に「はやさ」を感じる理由には
お相手の技が
こちらの予測を超えて物理的に速いとき

技の打ち出しに文脈がなくて、虚をつかれるとき

打突動作に「序・破・急」があって、
予測していた運動リズムを越えた変化(加速)があったとき
などに起きます。

この中で、
若くて試合に強い剣道選手の動きにはやさを感じる場合の原因は、
「物理的に速い」ことによる場合が多いと思う。

全日本学生大会(男子)上位クラスの有名校の選手の
動きや太刀捌きの速いこと速いこと
まるでビデオ画像をコマ飛ばしで見ているかのようなスピードに感じる程です。
審判の立場で見ていても、
選手のスピードが速すぎるので、
当たってしまえば「一本」という位に、
打突の前後の運動経過や相互のやり取りの文脈とは関係なく、
選手のスピードに翻弄されてしまう場面が見受けられます。

全日本選手権でも、
優勝者の「面」の速いこと速いこと・・・
さらに、攻めのリズムにも緩急があるので、
あれほどの打ち切りと超絶のスピードがあったら、
「面」の前に打たれた「突き」などは
動きの勢いで相手の残心の局面なども帳消しにしてしまうし、
以前あったような
「面」に当たったのか、「面の辺りにあった小手」に当たったのか、
などといった判断についても、
視覚による情報処理の限界を超えているスピードでなされていたので、
審判の先生方も視覚、聴覚、運動共感能、経験を総動員して
審判しなければならないほど難しいのだろうなと推察します。
(その結果の判定なので、あれでよいと思う)。

先日のオープン大会で久しぶりにお会いした某範士によると
(某範士は、全日本選手権の決勝戦の審判もされたことがある方ですが)

某範士曰く
「技の前後のやりとりに運動共感して観ていないと
剣道の判定はできないのだが、
その世界に入り込み過ぎると
瞬時にこちらもその技に反応(判定)してしまうため
判定が早すぎて誤審が起きることもある。
かといって、
そういう感覚(技の前後の文脈に運動共感すること)を
すべて捨てて審判してしまうと、
有効打突を見落としたり判定が遅れたりする。
この辺が、審判員として、とても難しいところ・・・。」
というお話を聞いたことがあります。

速いうごきの剣道を審判することの難しさがここにあります。

次に、
「有効打突の基準にみる文化的意義」

有効打突の基準は
「充実した気勢」「適正な姿勢」「「竹刀の打突部で打突部位」
「刃筋正しく」「残心あるもの」です。
また、有効打突の判断材料や判定の説明に用いる際の要素として、
「姿勢」
「気勢」
「間合」
「体捌き」
「機会」
「手の内の作用」
を参考にします。
ここまでは良い。

一方、
全日本剣道選手権は毎年テレビで放映されていますが、
一般人には判定が解らないという意見が多数です。
それは、
選手の竹刀さばきが高速である上に
お互いの体に対してたくさんの打突が当たることが多いのに、
その打突の中から有効打突が採用される仕組みが
一般の方にはわかりにくいからです。
(最も欲しかった打突を選ぶ by サクド〜範士)

だからといって、
剣道の試合ルールは
見て楽しむことを前提に創られたものではない以上、
フェンシングのような機械的な点数化は剣道理念に馴染みません。

剣道はかりそめに竹刀を持ち、防具を着装し、
生死の間(はざま)を想定する条件で
人間力を充実させていくという修養法に重きを置くものであるし、
剣道ルールは
互いの勝ち負け(生死)の決着(一本)を
便宜上了解するための方便として定められたという性質を持ちます。

そして、振り回した竹刀が単に当たればよいということではなく、
その打突が
気・剣・体が一致した
心・気・力が統制された打突
であったかどうかを評価基準としているということをよくよく考えてみると、
剣道の有効打突の基準は、
竹刀による単なる打突を
より深く「味わう」あるいは「楽しむ」ことを可能にしている
世界的にも特殊なスポーツルールだといえるのではないでしょうか。

このように考えると、
身体能力の高低が
勝敗の行方を左右するような競技文化のあり方に
不満を感じるような方々にとっては、
「有効打突」あるいは「一本」としての視点をさらに深めることが、
剣道をより深く楽しめる世界へ導いてくれるのではないでしょうか。
なんてふうに思っています。

最後に
「剣道の有効打突をどのように捉えるか」という問い

過去の全日本剣道選手権の決勝戦における
後々に物議を招いた名場面だけでも思い出してみても

審判の目を限りなく機械に近い形で正確性を求めるならば
ルール論的には
全て、誤審
と言われても仕方ないケースが多かったのではないでしょうか。
しかし、
「先」と「攻勢の持続」、
あるいは
一連の打突経過を伴う「打ち切り」「残心」に文化的意味と比重をおけば、
打突時の時間的に僅かな速い遅いは問題にならず、
あるいは
定められた打突部位を正確に捉えていたかどうかという事実も
ちょっと横に置いといて
これらの場面は審美眼的にみて
全て適正な判定であったということができると思っています。
そして、
剣道が、打突の先か後かを競う当てっこ競技ではなく、
有効打突の攻防に文化的意味を見出す武の道である
と主張することができます。

私にとっての問題は、
小学生、中学生、高校生、大学生
そして一般といった階層の違いと判定基準の使い分けです。
私の審判活動は、これら全てに関わっているので、
教育的見地からは、スポーツルール論の立場は重要であるし、
文化的継承の視点からは審美眼的な見立ても必要になります。
そして、
ひとつの大会の最中に
この二つの立場が揺れ動かないことも必要です。

以上にようなことを再度確認しておかないと
前に進めない気がしたので
長々と備忘してみました。

最後までお読みいただいた方は
ありがとうございました。
posted by カン at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書