2016年06月23日

相手がいるからこそ2016

館長備忘録 セカンドシーズン(35)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
「理合」を超えた姿の教えにも気づかなければなりません。

月刊「剣窓」平成28年7月号に寄稿されていた一文が
心に残ったので備忘します。

(前略)・・「相手がいるからこそ自分自身がいる」・・(中略)・・
どこの稽古会でも、その「道場の顔」と呼ばれる人がいるものです。
殆ど、指導的な立場の方が多いのですが、
必ずしも高段位者とは限りません。
私が所属する剣友会にも、
一昨年90歳で亡くなる直前まで、道場に週2回立ち続けた方がいました。
ご自分より段位が上の若手に対しても、
容赦なく稽古をつける姿は筋が通っていました。
外国人や女性たちからの人気も絶大でした。
さすがに晩年は杖が手放せませんでしたが、
稽古後には杖を忘れて帰ることもしばしば。
剣道を学びながら剣道に生かされているとはどういうことか。
言葉でなく、稽古場での姿で私たちに教えてくれました。
・・(中略)・・
剣道は、今後ますます各領域で国際的展開が予想されます。
同時に「日本の剣道とは何か」の問いかけもさらに鋭くなるでしょう。
試合や段位称号に関する批評はさておき、
「それぞれの存在を認め合う稽古とは何か」
を示すことが国際的展開には欠かせない視点になるのではないでしょうか。
「理合」を超えた姿の教え。
いわば、「生涯剣道」の中味がいま問われているのかもしれません。
・・(後略)・・
by 東京芸術大学教授 高橋亨先生(教士8段)
posted by カン at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉
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