2014年03月17日

春のロード2(春の遠征 in 和歌山)覚書2

12日の午前にあった作道師の講話から
覚え書き、その2です。

「技の使い方」
1. 攻め崩し:昨今はこの強調が目立つが、その弊害は運足や竹刀操作の無謀さ、その不協和から生じる力みと攻め崩れに注意する。

2. 打ち出しを消す:いつ、どこへ打ち込んでくるかわからない技の打ち出し方の工夫。
そのために
下肢は
・左ひざが折れない、腰を立てることによって腹と背を一体にする、踵が生きている。
・右膝から前へ踏み込む
・下肢が先行する身体意識と感覚。足から(左足の蹴りまで手元が動かない)
上肢は
・肩の力を極力抜く(左肩の後方への巻き落とし)
・右手から(で)打ち出さない。むしろ左手の前方への突出しにもよおされて、右手が動き出すような身体意識と感覚。

以上です。
posted by カン at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2014年03月14日

春のロード2(春の遠征 in 和歌山)2014

春の遠征で大阪体育大学の春合宿にお邪魔してきました。
期間:平成26年3月10日−12日

20140311083828(1)_512.jpg
・和歌山ビックホエール

20140311142653(1)_512.jpg
・会場:和歌山ビッグウエイブ

9日(日)の新潟県の国体予選会で
あまりにも不本意な内容の試合をしてしまったこともあって
今回の春の遠征は、
その反省と軌道修正のためのロードでした。
私の心にできた棘を
作道師にビシビシとそぎ落としていただくつもりで出かけました。

10日(月)6:00発、の予定が・・・
寝坊した不心得者が出たお蔭で、1時間遅れて出発・・・
メンバーは私、イケガワ、剣道部員のキタジマのたった3名。
雪と寒波の中、高速道路の状態は最悪でしたが
イケガワクンの慎重な運転のお蔭で
14:00、無事に和歌山着。

20140311140853(1)_512.jpg
・和歌山城

20140311134958(1)_512.jpg
・和歌山城からみた街並み

20140311135816(1)_512.jpg
・場内の木にはリスが住み着いていました。

20140312080045(1)_512.jpg
・宿泊は紀三井寺の麓

20140312080224(1)_512.jpg
・温泉旅館でした

初日、作道師は不在。
私は学生やOB達と約50分間の稽古のみ。
足腰の痺れは何とか持ちました。

20140311142902(1)_512.jpg
・独りで孤軍奮闘する学生のキタジマ君

11日(火)、作道師登場。
岩手の講習会を終えて来られたとのことでした。
午前、師は面を着けられなかったので
OBのH8段、ビッグウェイブ館長のY8段にお願いしました。
H先生とは面・体当たりの応酬で鍛えていただき
Y8段(全日本選手権者)には遠間からの面を何度も頂戴しました・・・
この時点で、足腰の痺れはかなり怪しい状態に・・・
その後、今春から新任教員の助教として体育大学に着任することになった
怪童(?)の雷多クンと稽古。
デカい、速い!
相手は先輩である私に遠慮してか、面しか打ってこないのに、まったく捌けない・・・・

午後。
作道師に稽古をお願いし、
いつもの如く、受け止めてくださり
長い時間対峙させていただいた割には
気の起こりも呼吸もさっぱり掴めず、
自爆面の繰り返し・・・・
師曰く
「相手を動かして打つ場面を
必ず一度は造るように・・・・・、判るやろ・・・」
とのことでした。

その後、雷多君に再挑戦するも
返り討ち
う〜ん・・・

20140312114502(1)_512.jpg
・雷多君も、笑うとカワイイ青年です。

12日
遠征の締めとして、神崎監督に立会を所望。
打ち合いの中、何本かは当たったものの、まぐれ当たり感が漂う。
倍返しで監督から打たれたものは、ずっしりと余韻が残る。
最後は、相打ちの面を切り落とされて終わり・・・
終わってみれば、足腰の痺れ感は最悪に・・・

20140312094345(1)_512.jpg
この日の午前にあった作道師の講話から覚え書き
・礼に背くもの
「勝って誇るは負けに近く」
「負けて恨むは二重の負け」
・礼に適ったもの
「勝ってなお反省し、相手の気持ちに
身を置き換えてみる余裕のあるものは二重の勝ち」
「負けて反省奮発、
相手を称える余裕のあるものは勝ちに近い」

こうして、心にできていた棘は
なんとか落ちたようです。

12日夜半、上越に無事帰還。
posted by カン at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年10月29日

おんたけ講習会2013「先」についてのエピソード

先般のおんたけ講習会に参加した時、
日本剣道形の講習時間にサクド〜範士がピンポイントで登場した。
ピンポイントといっても午後の約1時間、
汗みどろになりながらのものすごい示範でありました。

その時、
剣道形の解説に先立ち、
「先の問題はあるんだけれど、
今日はそれは置いといて・・・」という前置きで

「構え」をそのまま運びながら、
「先々の先」、「後の先」における
途切れの無い体さばきの妙を
繰り返し、繰り返し見せてくださった。

私としては、3本目の「先々の先」の示範がお宝となった。

でも、他の講習生の皆さんは、多分・・・
「先々の先」と「後の先」の理解が曖昧だと推測されるので

剣道形における「先」を理解するために、
何年か前に書いた備忘を少し短く要約して再掲します。

日本剣道形では、
1・2・3・5本目が「先々の先」の技、
4・6・7本目が「後の先」の技
とされています。
ところが、
打太刀と仕立のやりとりの現象面からみますと、
全て打太刀からの先に打ち込む手順になっています。
仕太刀が先に打太刀に仕掛ける場合はありません。
全て応じ技の組太刀で構成されています。
つまり、現象的には見取りやすい「先々の先=出端の技」という図式は
成り立たないということです。

それなので、
日本剣道形で求められている「先」をまとめてみると、
1.「先々の先」と「後の先」は、仕掛け技が先々の先、応じ技が後の先といった勝つ技術のことではなく、勝つための機会を捉える精神面の理合を表わしたものであるということ。
2.「先」という考え方は「打突の機会を逃さない」といった意識の在り方といった意味と捉えて位置づけること。
3.勝つ場合の機会を捉える理合は、「先々の先」と「後の先」の2種類で状況判断するということ。
・4.その「先々の先」とは「読み・予測」によって機会を捉える理合であり、「後の先」とは「反射」によって機会を捉える理合であるということ。

具体的には日本剣道形一本目と六本目を対比して、この理合の違いを説明すると
「一本目」:
一本目は、「先々の先で勝つ意也」。
打太刀が指導的立場であり、仕太刀が教わる立場であるから、
間合に接するや打太刀がすぐに打ったのでは、打ってくる部位を仕太刀が読む時間がない。
したがって、お互いに間合に入るや、
(本当は、打太刀は小手などを攻めるらしいのだが、それは形の約束上できないから)、
間合いに入ったら、瞬時、ほんのわずかな時間をグッと溜めてから、
面しか打つところがないという状況設定で面を打つ。
そのようにすると、
仕太刀は、その一瞬の間に打太刀が面を打ってくることを読むことができる。
打太刀が面を打ってくることを予知する時間をとらなければ、
仕太刀は「来い!」と気当たりしてその瞬間、読み・予測するという体験が
できないということである。
一本目は、もっとも安全な勝ちである読みの勝ちを修練することになる。

「六本目」:
六本目は後の先の勝ち。(反射の勝ち)。
中段に構える。
仕太刀が攻め込んでいくと、打太刀が出鼻の小手を打つ。
打ち太刀は攻め込んでいくだけであって、相手が小手を打ってくることを知らない。
小手を打ってこいと色を見せるわけではない。
相手が小手を打ってきたから「きた!」と反射的にすり上げて打つ
という状況設定で行うのが理合である。

一本目も六本目も
相手の打ちを外して勝ちを制する応じ技の技術ですが、
「一本目は読みで応じて勝つ。六本目は反射で応じて勝つ。」
というように形を稽古することが
理合に則った形稽古ということになります。
posted by カン at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年09月24日

連休の稽古会2013秋

9月16日と23日は祝日でしたが、
特に剣道の行事もなかったので
大学で稽古会をしました。

メールで適当に20〜30人に案内送信したら

DSC09605_512.jpg
16日参加者

特に16日は、
大型台風による水害も危ぶまれる中の稽古会になってしまいました。。

DSC09606_512.jpg
23日参加者

お集まりいただき、ありがとうございました。
まとまった時間をとって、
基本稽古、約束稽古、地稽古を行うと
やったという充実感がありますね。

私、両肘の上腕骨外上顆炎(じょうわんこつがいじょうかえん)が悪化してきたため
先週から面の打ち方を改良しています。

股関節の痛みがマシになってきたら
今度は肘です・・・・・

構えの左拳をやや体に近づけ、両肘にゆとりを持たせた構えからの
肘の脱力を意識した打ち方を心掛けています。

これによって打突力も変わるので
間合や開脚動作の工夫も必要だということもわかりました。

相変わらず左手の握力低下(頸椎ヘルニア)は以前のままですが、
竹刀の柄も思い切って太いものに変えてみました。

どうなるでしょうね・・・
posted by カン at 17:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年09月04日

新潟県剣道選手権(全日本予選)と県高段者大会2013がありました

日時:平成25年9月1日(日)
会場:新潟市黒埼地区総合体育館

私は審判員のお役目と拝見試合1試合の出番でした。

選手権予選の結果
130901_1144~02.jpg
 優勝:木村友哉
 準優勝:廣瀬欽一

決勝のお二人はどちらも上越出身。
それぞれ、中学、高校、大学では全国大会を経験しておられます。
私はお二人を子供の昔から知っているだけに
どちらも全日本選手権に出場していただきたいという複雑な心境で決勝戦を見守りました。

木村選手(26)は、
伸びのある打ちきりと響きのある発声が魅力の華のある選手です。
特に、昨年の全日本選手権において、初出場ながらも3回戦まで進出し、
見事ベスト16となっておられます。
それ以来、勝つ者としてのオーラをまとっているようにも見えました。

廣瀬選手(32)は、
圧力のある「体攻め」で相手を浮かせながら放つ二の太刀、三の太刀の遣い方が魅力。
警察剣道で長年鍛え上げてきた地力と風格は
昨年度あたりから競技力にも反映してきたように思えます。
今年度の東京国体の選手です。

双方、気力充分。
応援団の警察関係者と刑務官関係者の気迫も互角。
(こういう時は、審判員が選手や応援団の気迫に負けないように
心して判定しなければならないのです。
これは、言葉で言うほど簡単なことではありません。)

見ごたえのある試合でした。

有効打突と判定されても不思議ではない打突が
木村選手に2回、小手と突き
廣瀬選手に1回、引き面

両人にしてみれば「なんで今のをとってくれないのォ〜」という感じかな。

延長戦の結果、
木村選手の小手に旗が上がり
全日本選手権は木村選手が出場を決めました。
昨年以上のご活躍を祈念申し上げます。

廣瀬選手にとっては、不本意な結果だろうと推察されますが、
どうかこれからも切磋琢磨して、
県の剣道レベルの向上の一助になっていただきたいと思います。

さて、
私の拝見試合は、警察のS.Y先生。
S.Y先生は、火の出るような迫力の試合が魅力です。
私は、「火」に対して「水」となって
起承転結のある立会にまとめあげようと努めたつもりでしたが、
はたしてどうだったでしょうか・・・・・
最後はお互いに面と出て、抜けあったところで
「それまで!」となりました。

その他、
大会後は合同稽古会30分(短けェの・・・)で6名の方に稽古を頂くことができ、
特にS.S教士8段からは、
「身の寄せ」の大事についての教示とその示範を頂くことができました。
S.S先生の身の寄せ方は、右膝の送りと剣先のすり込み、左足の継ぎ方にポイントがあるようです。
(今日の朝稽古で何度も真似してみましたが
なかなか上手くいきません・・・)
posted by カン at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年08月21日

夏合宿に日帰り参加しました2013

夏のロード2013の終盤として、大阪体育大学剣道部の夏合宿に日帰り参加してきました。
日時:8月18日(日)

DSC09545_512.jpg
会場:石川県小松市 桜木体育館

6:00上越発
約250Kmの距離でした。
8:45 現地着
9:00 稽古開始

DSC09548_512.jpg
この日のお土産は、
神崎監督の基本指導で拝見した「左手首の操作」と攻める際の「圧力の加え方」。
神崎監督の攻めは、剣先の表現が極小化されてきて、ほとんど「気当て」・・・
あれされたら、大抵の人の左手は浮くだろうな。
また、4月以来、久しぶりに作道範士にお願いできた。
範士曰く「その構えの中からそのまんま、その中でスパッと技を・・・・・、
それがなんかこう、最後のところで・・・・、
中途半端やねんなぁ・・・、
もうここまできたんやから、そのままいかんかぁ・・・」

このことのお蔭で、午後の稽古は少し吹っ切れて
初動でも肩や肘の脱力を感じることができた。
これも大事なお土産だ。
この感じ、忘れませんように・・・

17:00 稽古終了
即、帰還
DSC09564_512.jpg
小松の海

DSC09566_512.jpg
富山の海

20:00 上越着
posted by カン at 09:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年08月14日

全国教職員剣道大会がありました

夏のロード中盤、
第55回全国教職員剣道大会に行ってきました。

教職員1.jpg
日時:2013年8月12日(月)
会場:和歌山ビックホエール

DSC09528_512.jpg
和歌山県へ行ったのは、高校生2年の時の近畿総体以来です。
何と38年ぶり・・・
イケガワ先生の車に乗せていただき、一路、和歌山へ
お盆の渋滞の中、約8時間の行程でした。

新潟県選手
個人戦選手:山崎・池川・相場
団体戦選手:吉原・三本・石井・高橋・直原
団体戦は、対 高知県(0−2)で一回戦惜敗。

先鋒の一本負けを
副将の高橋先生がなんとか取り返して大将に繋げようと
猛烈に奮闘してくれたのですが
その攻撃の隙間に小手を決められてしまい(0−2)、
大将戦とはなりませんでした。
残念・・・・

その試合後
北海道のO先生が近づいてこられ
ニヤリと笑いながら
「今日は各県の大将の試合を見ているのだけれど、
ダメ・・・、面の打ち方がダメ、
ジキ(私)もAもBもCも(と誰々といった実名を挙げながら)
みんなこういう打ち方(具体的に左手・肘・肩の動きを真似しながら)をしている。
これでは、「冴え」「伸び」が出ないから、当たっても試合の一本になりにくい。
だからみんな(私、A、B、C)8段試験にも通らない。
「冴え」のある打ち方ができないと、試合も審査もダメ。
こういう風に(と見本を示しながら)打つようにすることが大事。」
という有り難いアドバイスを頂いた。

(実は、今年になってから
これと同じようなご指摘をすでに4人の方からいただいている。
自分でもそうだと思うのだが、
なかなか改善できない・・・)

また、群馬のタニクジラ先生とは
足腰鍛錬の重要性や、
限られた稽古時間やその機会に心掛けるべき
集中度や本気度の大事についてお話しすることができた。

今回のお土産はこのふたつかな。

DSC09530_512.jpg
その他の大会結果
個人戦の部
「高・大・教委の部」
優勝:山本 淳(熊本県)
二位:小川 勇真(京都府)
三位:寺島 光紀(富山県)
三位:大淵 量(福岡県)

「幼・義務教育の部」
優勝:梶原 大輔(大分県)
二位:佐伯 太郎(宮崎県)
三位:鷲谷 和(秋田県)
三位:立石 充(和歌山県)

「女子の部」
優勝:甲田 愛莉(高知県)
二位:宮川 瑠璃子(山口県)
三位:佐久間 陽子(山形県)
三位:多和田 麻由(岐阜県)

団体の部
優勝:長崎県
二位:大阪府
三位:熊本県
三位:岡山県
ベスト8
石川県、大分県、 福井県、神奈川県

DSC09527_512.jpg
猛暑の中、紀三井寺だけは観光することができました。
1750年代に建立です。

DSC09518_512.jpg
開花宣言の基準となる季節観測用標本のソメイヨシノがありました

DSC09524_512.jpg
紀三井寺の山頂からみた和歌山の海

posted by カン at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年05月02日

いざ京都2013(4月30日)

審査前の気を高めるために、
大阪体育大学で夕方から稽古させていただきました。
この4月30日は、例年、審査を控えた方々や海外の方々が稽古に参加されています。
今回もイタリアメンバーが多数、志学館大学剣道部、大学OBの方々でにぎやかでした。

師範室で着替えていると
サクド〜範士がお出でになり
「お〜、来たかぁ〜、今日はモードを変えて
明日のためにしっかり調整していけよォ〜」

「あの〜、昨日のことは無かったことにしてください。」

「見てない、見てない、俺は何も見てないよォ〜」
「まぁしかし、人前で恥かくのも、大事な経験や〜」

「あっ、やっぱり恥かいてました?」

とにかく、18:00〜18:45 稽古
お願い出来たのは、作道範士、花澤教士、神埼教士、大学院生2名。

作道範士には、激しく叱咤激励の打ちこみ稽古
花澤教士には、面打ち込みと体当たり
神埼教士には、気迫のこもった引き立て稽古を頂戴する。

作道範士曰く
「活入れられないと充実しないようではダメ、自ら先んじて独楽体になること」
と教示をいただきました。

稽古後、京都へ。
もはや定宿となった、京都御所、御苑脇のホテルで宿泊。

ホテルに着いたのが22:00だったので、
ふらふら夜の街を徘徊することもなく
部屋で剣道演武のDVDを見ながら剣道日誌の整理。
そんなことしてたら、審査前の緊張はピークに・・・
眠れないのは判っていたけど
0時、消灯。
posted by カン at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2013年03月04日

受審者講習会2013がありました

平成25年度新潟県剣道6・7・8段受審者講習会
日時:平成25年3月2日(土)9:00〜16:00
会場:黒崎地区総合体育館
講師:岩立三郎範士、渡辺幹雄教士、白井吉満教士、山田義雄教士
参加者:約130名
内容:講話(岩立範士)、模擬審査、剣道形、指導稽古

岩立範士は
講習会の前日に74歳になられたそうです。
範士の講話は、受験者にとってはためになることばかりで
何度お聞きしても飽きるということがありません。
エピソードが豊富で楽しいので、とても記憶に残りやすいという特徴があります。

この日は、
元立ちにおける先の位
相手の技量に応じた技使い
正師を求めること
勇気 などについてお話しいただきました。

個人的には
元立ちにおける「先」の位の大切さ のお話しや
本番での勇気の大切さ がよく理解できました。

いつかまた2次審査に進むことができたら
今までの反省を生かして
恰好をつけずに、
迷わず打ちきる勢いとその継続を大切にしようと思いました。

模擬審査ではオカダ、オオハマ先生にお願いし
(わざわざ新潟市まで出かけて、どうしていつも上越の方々と組むはめになるのか・・・)
岩立範士からは、
面を打つ際の肘と肩の使い方についてご注意をいただきました。

その後、廻り稽古等で、岩立範士を含む11名の先生方にお願いすることができました。
股関節は関節の奥に熱が残る感じでしたが
なんとか保つことができました。

DSC00395_512.jpg
70歳以上の先生方による立ち合いです。
声はデカいし、体は動くし
いったい普段から何食べてるんだろう?
と思ってしまうほどの元気さです・・・
posted by カン at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2012年10月21日

全剣連後援 審査員講習会がありました

新潟県剣道連盟の審査員24名を対象とした講習会がありました
日時:平成24年10月21日(土)10:00〜16:00
会場:黒崎地区総合体育館
講師:豊村東盛 範士八段
   田村徹 範士八段

以下は講習内容での備忘です。

審判法(田村範士)
・有効打突の判定において試合者の錬度によって考慮すべきなのは「要素」
「要素」とは「間合」「機会」「体捌」「手の内の作用」「強さと冴え」
ちなみに、有効打突の「要件」は「姿勢」「気勢(発声)」「打突部位」「竹刀の打突部」「刃筋」です。
・引き分けの際の表示は柄の部分でなく旗の部分で交差する(どちらでもよいが、柄で交差しなければならないというわけではない)。
・旗の交差や取り消しの表示では、交差は赤・白どちらが前でも構わない。
・審判員のコート内で整列は近接して並ばないと、開始線の内側を通って移動しても適切な位置取りができない。

剣道形(豊村範士)
・一本目:打ち間合で行う。残心(打ち太刀は残心の所作中は体を起こさない)で縁を切らさない。切っ先部分を目に付ける。
・三本目:入れ突きになやす際は、上から乗る気分で。
・四本目:巻き返した際の足捌き(右足の位置)の注意。
・五本目:打ち間まで攻め込むこと。
・六本目:すり上げは足捌きで行う。
・七本目:気当たりの際の太刀の交差位置は喉の高さ。抜き胴の要領。
・小太刀一本目:太刀の場合の「機をみて」とは異なる「入り身にならんとするところ」の間拍子。打ち太刀は顔を仕太刀に向けること。
・小太刀二本目:打ち太刀は間をおかずに面を打つ
・小太刀三本目:すり落しの方向。打ち太刀の体捌きの方向と足のひきつけ。
・初心者への指導は、手順の習得後に、「理合」「間合」「大強速軽」「緩急強弱」等を順次指導する。

指導法(豊村範士)
・正面素振りの際の打突高
・前進後退の際の送り足の徹底
・一足一刀の間合からの継ぎ足無しの打ち込み稽古
・間合近づくほどに脱力を。剣道形で学ぶ。

この日は豊村範士の面打ちの示範を受けさせていただいたので、範士の一足一刀の間合からの面打ちの「勢い」を味あわせていただいた。
う〜ん、なるほど・・・といったような納得感がありました。

指導稽古
 お二人の範士と山田教士にお願いできた。
 山田教士からは、打突時の手の内に関する助言をいただいた。
 ありがとうございました。

番外編
 土曜日だったので、夜も上越の稽古会に参加。
 参加者も多かったので、この日はたっぷりと稽古ができました。
 そして、現在はアメリカに居住している杉本女史が結婚報告で帰国していて、挨拶に来てくれた。
DSC00179_512.jpg
本人曰く「メッチャクチャ甘いチョコレート」をお土産にもらった。
ありがとうね。
posted by カン at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2012年06月06日

新潟県高校総体剣道の部2012で審判しました

日時:平静24年6月1日〜3日
会場:リージョンプラザ上越

私は2日目と3日目の審判をお手伝いしました。

総体012.jpg
今年のインターハイは新潟県が開催地なので、
団体は男女各二校、個人戦は各4名が出場出来るということです。
上越出身者では、吉川中出身のTさんが女子個人戦と団体戦でインターハイに出場することとなりました。おめでとうございました。

ところで、
高体連剣道専門部による「鍔競り合い改善」の趣旨から出されている「鍔競り合いに関する補足事項」のことですが、

これらの内容を確実に運用しようとすると
審判員の試合中の心理的負担はとても大きいだろうと感じながら試合を拝見していました。

この「鍔競り合い改善」の趣旨(平成20年5月に決定)というのは、
不当な鍔競り合いや中途半端な間合いから公明正大さに欠ける試合行為が多く誘発されるようになったことを改善するためになされたものでしたが、

その後は毎年、一部改定として補足事項が加筆されており、
最近では、A4サイズの用紙でびっしりと4枚以上の補足事項が挙げられた事例集になっています。

例えば、こんな感じ。

「鍔競り合いの解消は剣先が触れない位置まで間合いが切れたところとする。従って、「剣先が触れない位置」まで間合いが切れてないのに打突した場合は反則とする。「剣先が触れない位置」まで間合いが切れてないのに攻め始めたり、上段をとったりする行為が行われた場合も反則とする。(注)試合者は、明らかに剣先が触れない位置まで間合いを切らなければならない。剣先が触れない位置まで間合いが切れたか否か曖昧な場合は、審判の裁量で反則となり得る。また、不自然な腕の曲げ伸ばしや足の引き方等によって、剣先が触れない位置まで間合いを切ったように見せる行為も反則となり得る。」
(これは、現象面では判定しやすい事例)


「鍔迫り合いを解消するため一方が分かれようとした場合、お互い潔く、間合いを切って分かれることとする。この場合、分かれる途中の近間、中間で打突した場合は反則とする。ただし、正しい鍔競り合いの状態からまさに分かれようとする瞬間に出した技は有効打突となり得る。」
(これもそう。理念的に判りやすい。)

でも、段々と審判の経験智が必要になってきて・・・・
「正しい鍔競り合いの形が判断基準であり、相互に正しい鍔競り合いの形をとるようにしているのが前提である。それが認められる中で、ある程度高くなることは許容範囲とする。時間経過情勢などを踏まえ異常な行為と判断した場合は反則とする。」
(「ある程度」とか「異常な行動」の判定は経験則に任されているみたい・・・。でも、審判員の経験って色々。)

では、これはどうでしょう。
「鍔競り合いから相互に呼吸を合わせて分かれる行為と鍔競り合いにならず近間・中間から分かれる行為を区別して判断する。後者は攻防が続いている状態であるので、技を出すことは問題にならない。また、相互が呼吸を合わせて分かれたとしても問題にならない。」
(これに到っては、ルールを利用した戦術の開発も可能になってくる。)

次のこれもそう。
「鍔元が接している『鍔競り合いの状態から鍔元が離れる局面で出された技』か『相互に呼吸を合わせ分かれる途中で出された技』かの見極めになる。従って、鍔競り合いを解消しようとする試合者は、その誤差が生じ得る間で打たれないように相手の竹刀を制するなどの方法で分かれなければならない。打たれた場合有効打突になる可能性があり、その場合は打たれた側に責任がある。また、分かれ際を狙って技を出そうとする試合者は、タイミングが遅れた場合、『相互に呼吸を合わせ分かれる途中で出された技』と判断され、反則となる可能性がある。『分かれ際』か『分かれる途中』かの判断は審判員の見極めが優先される。」

このように補足されても、高校生は中間や近間で竹刀をビュンビュン振り回しながら高速で動き回るし、その上にこの微妙な局面での戦術が開発されたら(もうすでに開発されてるけどね)、審判員は判定に困っちゃうよね。「鍔競り合い改善の趣旨」も曖昧になってしまうのでは・・・


補足事項がどんどん増えて、ルール規制が複雑になってくると何が起きるか?
私の知人のスポーツ文化学者によると
「ルールが複雑になるほど、そのスポーツの文化性は低下する傾向にある」
ということだ。

剣道は、竹刀を持ち、防具を着装するけれども、
生死の間を想定するという条件によって人間力を充実させていくという修養面に価値が置かれている。この修養面に重きをおきながら、形や作法を遵守し、その作法の洗練や習熟のみでなく、その背後にある精神性を体現することにも価値が置かれている。
これらが剣道で期待される文化性だ。
スポーツ文化論の見地からいうと、ルールが複雑になるほど、
剣道の志向するこの文化性から遠ざかっていく事象が増えるということなのだろう。
う〜ん・・・・・・・。


その他、
「不当な鍔競り合い」という言葉の意味として

先般の「違法」と「不当」と「不正」と「不法」の違いからみると
「違法」とは、言葉のとおり、法に違反すること。
「不当」は、必ずしも法に違反することではないが、妥当性を欠いていること。
「不正」は、正しくないこと(法令「違反」や職務に関する義務「違反」等の場合も使われる)。
「不法」は、実質的に法に反していること
なので、

「不当な鍔競り合い」とは、
「必ずしも剣道規則に違反することではないが、妥当性を欠いている鍔競り合い」
ということになる。
そして、剣道の場合は、
「必ずしも剣道規則に違反していなくても」、「妥当性を欠いていれば」、公明正大の視点から反則(規則に反する)が与えられるという超法規的な判定理念を持つ見識のある競技文化だったのだといえる。

したがって、あまり詳しく補足事項やルールを定めると、
「不当な鍔競り合い」というよりも
「違法な鍔競り合い」とか「不正な鍔競り合い」とか「不法な鍔競り合い」とした方が運用の実態に合ったものなるといえないだろうか。
posted by カン at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年11月29日

北信越学生剣道新人大会がありました

日時:平成23年11月27日(日)
会場:金沢大学角間キャンパス体育館

26日は、職場の大学院中期入試があったので
前日の理事会や委員会は欠席させていただき
夜、7時過ぎに現地到着しました。
夕食は、新人戦の審判や応援で参加していた大学院生2名と4年生2名を連れて
採用試験の合格祝いで盛り上がることができました。
(なぜか4名とも合格したのです。)

大会当日、
金沢はかなりの寒さ・・・
会場には、高田修道館出身のK山君、稲田清徳館出身のY本君、浦川原修練館出身のI部君の姿も見られました。
新人戦1.jpg
北信越地区の大学新人大会といっても
大学生の剣道離れを反映してか、
男子119名、女子41名という規模の大会です。
上越教育大学の選手は、
これまた少なく、1年男子1名、1年女子1名・・・・
現2年生は男子が二人いたけれど、昨年度の新人戦が終わった瞬間から丸1年も一度も道場に来ていません・・・

今年の1年生2名は、試合が長引くと最終的にはその試合に競り勝つことが出来るほどの試合経験が豊富な子たちなのですが
この日は二人とも3回戦負け。
普段の稽古相手の少なさが試合の結果にも表れたという印象でした。
新人戦2.jpg
頑張れ、1年生!

この日の大会会長は
北信越学生剣道連盟の会長を御願いしている恵土孝吉先生でしたが、
開会式の挨拶では、試合時の心の有り様を考える材料としての
「沢庵」和尚の「不動智神妙録」第5節が紹介されました。

以下、
「不動智神妙録」第5節「心の置き所」より

心を何処に置こうぞ、

敵の身の働に心を置けば
敵の身の働に心を取られるなり、
敵の太刀に心を置けば
敵の太刀に心を取られるなり、
敵を切らんと思ふ所に心を置けば
敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、
我太刀に心を置けば
我太刀に心を取らるゝなり、
我切らじと思ふ所に心を置けば
切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、
人の構えに心を置けば
人の構えに心を取らるゝなり、

兎角心の置き所はないと言ふ。

或る人問ふ、
我心を兎角余所へやれば、
心の行き所に心を取りとめて
敵に負けるほどに、
我心を臍の下に押込めて
余所にやらずして、
敵の働によりて、転化せよと云ふ、
尤も左もあるべき事なり。

然れども仏法の向上の段より見れば、
臍の下に押込めて余所へやらぬと云ふは
段が卑しくし,向上にあらず、

修行稽古が時の位なり、
敬の字の位なり、又は
孟子の放心を求めよと云ひたる位なり、

上がりたる向上の段にてはなし
敬の字の心持なり、
放心の事は別書に印し進じ可有御覧候、

臍の下に押込んで
余所へやるまじきとすれば、
やるまじと思ふ心を取られて,
先の用かけ、
殊の外不自由になるなり。

或る人問うて云ふは,
心を臍の下に押込めて働かぬも、
不自由にして用が欠ければ、
我身の内にて何処にか心を可置ぞや、

答へて曰く、右の手に置けば
右の手に取られて身の用欠けるなり、
心を眼におけば眼に取られて、
身の用欠け申し候、
右の足に心を置けば、右の足に
心を取られて身の用欠けるなり、

何処なりとも一所に心を置けば、
余の方の用は皆欠けるなり。
然らば即ち心を何処に置くべきぞ。

我答へて曰く、
何処にも置かねば
我が身に一杯に行きわたりて、
全体に延びひろごりてある程に、
手の入る時は手の用を叶へ、
足の入る時は足の用を叶へ、
目に入る時は目の用を叶へ、

其の入る所々に行きわたりてある程に、
其の入る所々の用を叶ふるなり、
万一もし一所に定めて心を置くならば、
一所に取られて用は欠くべきなり、

思案すれば思案に取らるゝ程に、
思案をも分別をも残さず、
心をば総身に捨て置き、
所々に止めずして其の所々に在りて
用を外さず叶ふべし、

心を一所に置けば偏に落ると云ふなり、
偏とは一方に片付きたる事を云ふなり、

正とは何処へも行き渡ったる事なり、
正心とは総身へ心を伸べて
一方へ付かぬを言ふなり、

心の一処へ片付きて一方は欠けるを
偏心と申す也、

偏を嫌ひ申し候、
万事に堅まったるは、偏に落るとて
道に嫌ひ申す事なり、

何処に置かうとて思なければ、
心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、

心をば何処にも置かずして
敵の働きによりて、当座々々、
心を其の所々にて可用心歟

総身に渡ってあれば、
手に入る方には手にある心を遣うべし、
足の入る時には足にある心を遣うべし、

一所に定めて置きたらば、
其の置きたる所より
引出し遣らんとする程に、
其処に止て用が抜け申し候、

心を繋ぎ猫のやうにして余所へ
やるまいとて我身に引止めて置けば、
我身に心を取らるゝなり、
身の内に捨て置けば、
余所へは行かぬものなり、

唯一所に止めぬ工夫、
是れ皆修行なり

心をばどっこにも止めぬが
眼なり、肝要なり、

どっこにも置かねばどっこにもあるぞ、

心を外をヘやりたる時も、
心を一方に置けば九方は欠けるなり、

心を一方に置かざれば十方にあるぞ。

以上
posted by カン at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年11月25日

23日 二兎を追うものは

6:00 
起床(実は情けなくってほとんど眠れなかった)
荷造り:剣道と居合と朝のトレーニングッズで荷物が多く、まるで旅芸人の荷物ようだった。

7:30 
某範士へ前日の結果報告の電話
(会場ではご挨拶はできないので)
意外にも、私の立会いをよく覚えてくださっていて
「金の卵落としたねぇ〜」で始まり、
一次の立会いと二次の立会いに対してのご意見をいただくことができた。
また、次回までに絶対に修正すべき点と、できれば参考にして欲しい点を助言くださった。
本当にありがたいことだ・・・・
(これが「何か欠けているもの」の解決に結びつくかもしれない)

午前中 
8段審査二日目の応援と見学
某範士からいただいた助言を具体化しているような剣風の剣士は確かに少ない。
立会いを見取りながら、そのような剣風の方がいらした場合は見取り稽古させていただいた。
その他、一次に合格した大学の後輩2名や懇意にしている長野アオキシマT先生の立会いも見届けることもできた。

午後には帰宅の予定だったので
皆さんの健闘を祈念しつつ、東京を後にしたけれど、

二日目の受験者832名、合格者7名、合格率0.8%
だって・・・・・

今回の東京ロード、
居合も剣道も昇段という結果を出すことができませんでした。

「二兎を追うものは・・・」と
助言くださる方もおられるのですが
限られた武道生活を豊かにするために
私はこれからも二兎も三兎も追いたいと思っています。
そして
新たな気持ちで稽古を続けたいと思います。
posted by カン at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年11月24日

22日 剣道審査

緊張でほとんど眠れなかった・・

6:00
審査当日の恒例となった早朝ジョギング30分。
(この日の東京は寒かった)
飢える為に朝食抜き(これも恒例)

私は、職場ではスポーツ科学の専門家でありますが
自身の剣道に関しては、
まったく経験則と根性と気合を中心に置いてます。
もちろん、人様にはお勧めできません。

9:00 受付
9:50頃 審査開始

111122_1228~02.jpg

この日の呪文は
「左手不動、竹刀を振るのは3回程度の呼吸法、攻め込み後の脱力」

でも、
自分では夢中だったので
なんだかよく判らないまま立会いは終了。
記憶に残る一人目のお相手は、
二度と御願いしたくない程の不得意タイプだった・・
自分が主導権をとって立会いをコントロールできた印象は皆無。
こりゃぁダメだと、心底あきらめの心境だった。

結果

一次試験、突破!

午前の前半10組中でわずか2名の合格者の一人に入れていただく。
つまり40名中の2名、突破率5%
あきらめていただけに、これは嬉しかった・・・

気分をよくして、二次審査へのコンディショ作り。
特に何するわけでもないけど
昼食は抜き。(恒例:ハングリー精神の身体化)
東京武道館のサブ道場や廊下で数時間を精神統一(のつもり)で過ごした。

16時過ぎ(だったかな)
2次試験、開始。
次の呪文は
「左手不動、竹刀を振ったら必ず決める、最後まで自分を諦めないこと」
(1次試験から若干、微調整)

お一人目、初太刀で小手からの面がしっかりと決まる(たぶん)。
と、その瞬間、
邪念がムクムクと生じ、普段の自分に戻る。
(せっかくゾーンに入っていたのに・・・)
大切なこの日の呪文も全て忘却。
私「え〜と、何だっけ、何か大切なことがあったはずなんだけどぉ〜」
などと間抜けなことを自問しながら
結局、心も技も体もバラバラ・・・
間積りも適当・・
そりゃぁ、攻防の成功は無理。

さらに
お二人目になってもその邪念は消えず、
当然、立会いの内容も注目に値せず、
2次審査、

「不合格」・・・

この日、8段受験者は968名、
合格者7名、合格率0.7%ということでした。

これで今年は二次試験「魔の刻」を2度も体験しました。
そして、今回の「魔の刻」は
お二人目の中盤以降でなく
お一人目の初太刀の後に訪れたようです。

今年の経験で「龍」を大きく育てて
「魔」に勝てるようにしたいなどと反省しています。

その他、
ホテルに戻り、大阪のサクド〜範士に報告の電話、
範士「え〜、またアカンかったんかぁ〜・・・、何かが欠けてるんかなぁ〜・・・。まぁ、また稽古しようや」と慰められる・・・

この夜は、この「何か」を考えていたら
情けなくって眠れなかった。
posted by カン at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年11月23日

20日 気分を変えて剣道稽古

8時起床

居合のことから気持ちを切り替えて
ホテル周辺を軽くジョギング30分。
遅い朝食をとってから松風館のある新松戸へ向かう。
常磐線に乗ったのは20年ぶりかなぁ。

12時過ぎに松風館到着。
この日は、審査に向けた立会いの模擬や稽古会があるということで
もうすでに大勢の方が集まっておられた。
海外はフランス、韓国、台湾。国内は沖縄から北海道まで。
すごい人気ですねぇ。
ここで稽古をお願いするのは、実は初体験。
少し、わくわくしていました。

立会いでは、
私は8段受験の3組目に入れていただき、同年代の方2名にお相手願いました。
内容は、
お相手を思うように浮かせられないまま、こちらが動いてしまいました。
始動の瞬間にもためらっている自分がいました。
当然、有効打突とは程遠い打ち込みになってしまいます。
岩立範士の講評は
「なんだ〜、旨く遣えなかったな・・・・・・」
「詰める圧力をもっと強めて、左手の動きをもうひとつ溜めると相手が迷うんだよ・・・」
とのこと・・・
また、他の先生方からは
「すりあげ面の間が少し悪い」
「左手を絶対に動かさない」
「左右の捌きをおさえる」
「迷わない(迷いを見せない)」
という的を得た助言をいただきました。
(問題点多数です・・・)

その他、他の立会いに対する岩立範士の助言は
・不安で技を出さない、機会でもないのに無理にぽんぽん技出さない
・衝動的な小手打ちの禁止
・得意技を必ず出す
・打たれた後に取り返そうという意識は厳禁
・審査員を引き込む迫力・発声
・相手を浮かせて打つ
ということでした。

指導稽古

松風館2011.jpg
元立ちは8段8名、参加者8段受験者40名、7段以下40名という規模になり
範士の前にあっという間に20名以上の列。
岩立範士は2分区切りの元立ちだったけど
掛かり手が多すぎたので
私は、K田先生とK澤先生にだけはお願いできた。

稽古終了は5時半。
6時には道場を失礼した。

審査前の有意義な機会を得ることができました。
また、行こうかな・・・
posted by カン at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年11月07日

from高田to高田

関西圏を一周する予定だったので、
乗車券を高田から高田まで買って、
4日間のロード・ザ・愛知でした。

日記風の備忘。

11月2日(水)
 大学で朝稽古
 午後 神戸へ。実家の父のお見舞い。

11月3日(木)
 午前 実家の掃除。
 午後 父親と病院で全日本選手権をTV観戦
 ・審判員の先生方、頑張れ〜
 ・多くの選手の立ち振る舞いは、益々立派に向上したように見えた。
 ・高鍋君の超絶スピードの面は健在(左手の挙上がやや多し・・)
 ・解説を務められた宮崎八段の試合内容に関する洞察は流石・・・

11月4日(金) 愛知県春日井市へ
 全日本学生剣道連盟の審判委員会の研修稽古会がありました。
 4分×8回の廻り稽古(合計59段)。
 8段メンバーの先輩方(愛知の8段戦チャンプH先生、最近は打つ前からニヤリと笑う北海道のO 先生、広島のクラッシャーK先生)から暖かいご指導をいただきました。
 ご指導をまとめると、
「打たれても、決まらなくても、届かなくても、崩さないこと。そして、絶対に縁を切らないこと。」ということでした・・・・
 
111104_1931~01.jpg

111104_1927~01.jpg
審判委員会の懇親会(ステーキ&ホルモンで暴飲)

なかむら屋さん(http://steak-shabu-nakamuraya.com/)の和牛やホルモンは今年も絶品でした。      

11月5日(土)
 終日、学生剣道連盟の各種委員会
 夕刻から、OB稽古会40分。
 この日に稽古を御願いした某先生からは、
 打ち出しの間の取りかたについてアドバイスいただきました。
 
 夕食代わりのOB懇親会と2次会は、
 新潟から審判に来ていただいた仁君と剣道談義
 10時には消灯・・・。

11月6日(日) 全日本女子学生剣道優勝大会

111106_1626~01.jpg

111106_1037~02.jpg
結果:優勝は筑波大学、準優勝は東海大学。

昨年は早稲田大学が男女共に全国制覇しましたが、
今年は筑波大学が男女で全国優勝です。

帰りは列車事故で特急が大幅に遅れ、
高田駅にたどり着いたのは11月7日(月)0:15でした。
posted by カン at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年10月08日

「先」の話5(終わりに)

日本剣道形で求められている「先」をまとめてみると、
三橋範士によると
・「先々の先」と「後の先」は、勝つための機会を捉える精神面の理合を表わしたものであるということ。
・「先」という考え方は「打突の機会を逃さない」といった意識の在り方といった意味と捉えて位置づけること。
・勝つ場合の機会を捉える理合は、「先々の先」と「後の先」の2種類で状況判断するということ。
・ その「先々の先」とは「読み・予測」によって機会を捉える理合であり、「後の先」とは「反射」によって機会を捉える理合であるということ。
ということでした。

そして、具体的には
日本剣道形一本目と六本目の対比によって、
この理合の違いが説明されています。
(月刊「剣道日本」2005年5月号p24-29.)

「一本目」:
一本目は、「先々の先で勝つ意也」としてある。それはどういうふうにつかうかちゅうと、間合に入った時に、その前に形の根本的な役割は、打太刀が指導的立場であり、仕太刀が修得する、教わる立場である。ほだから、間合に接するや、すぐに打ったんでは、仕太刀が読む時間がないでしょう。ほだから、お互いに間合に進んだならば、打太刀は小手なんか攻める、攻める、本当は。攻めるんだけれど、それを、それはできないけれども、本当は攻めるんだ。はりやあ高野先生も言っている。だけれどもそれはできないから、進んで瞬時、瞬時、ほんのわずかな時間をグッと攻め込んでから、面を打つ。ほうすりや仕太刀は、その一瞬の間に相手が面を打ってくることを読むことができるでしょう。もっとも安全な勝ちは、読みの勝ちである。それは、「来いッ」といってそれでぶつかる瞬間、読んでいる。高野先生は、形の制定の主査委員の中心だ。形はだいたい高野先生と根岸信五郎の二人でつくったんだ。高野先生の説明を聞くと、ここでグッと攻めこまにゃいかん。小手いくぞ。ほいで最後には約束の面を打っていく。こういうふうに説明なさる。それは、相手が面を打ってくることを予知する時間をとらなければ、仕太刀は読むことを体験することが、経験することができないからである。いいか。それを形を見ておると打太刀がいきなり面を打つ。それじゃあ剣の理合に合った形のつかい方でない。

「六本目」
それでは六本目はどうか。後の先の勝ちである。ということは反射の勝ちである。条件反射運動である。中段に構える。打太刀が攻め込んでくるやつを仕太刀が出鼻の小手を打つ。打ち太刀は攻め込んでいこうと思っておって、相手が小手を打ってくることを知らない。というのを小手を打ってこい。こうやったんでは形にならない。「きた!」相手が小手を打ってきたから反射的に、いわゆる条件反射ですり上げて打つから後の先である。そういう解釈をすれば、これは帝国剣道形の理合ははっきり分かる。

「一本目も六本目も相手の打ちを外して勝ちを制する応じ技ですが、一本目は読みで応じて勝つ。六本目は反射で応じて勝つ。」というように形を行うことが
理合に則っていると言う事になります・・・

曖昧に理解していた剣道形における「読み・予測」と「反射」の問題や
作道範士の「懸待論」が
少し整理できたかもしれません。
posted by カン at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年10月07日

「先」の話4

明日から三連休なんだよね。
でも
相変わらず剣道行事の三連休・・・

今日も大変まじめな「先」の話しの4回目。
長いよ・・・

全日本剣道連盟による日本剣道形解説書では、
日本剣道形の解説の下段に大日本帝国剣道形が対比されて記載されています。
その大日本帝国剣道形においては、
太刀七本の解説の後に「説明」として下記が示されています(日本剣道形解説書14ページ)。
この部分は、
ページ上段の日本剣道形の内容が記載されてる部分では説明も記載もされていないのが特徴的です。

大日本帝国剣道形 説明
第一本 相上段ハ先ノ気位ニテ互ニ進ミ 先々ノ先ヲ以テ 仕太刀勝ツノ意ナリ
第二本 相中段ハ互ニ先ノ気位ニテ進ミ 仕太刀先々ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ
第三本 相下段ハ互ニ先ノ気位ニテ進ミ 仕太刀先々ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ
第四本 陰陽ノ構ニテ互ニ進ミ 仕太刀後ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ
第五本 上段晴眼互ニ先ノ気位ニテ進ミ 仕太刀先々ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ
第六本 晴眼下段互ニ先ノ気位ニテ進ミ 仕太刀後ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ
第七本 相晴眼ニテ互ニ先ノ気位ニテ進ミ 仕太刀後ノ先ニテ 勝ツノ意ナリ

註)大日本帝国剣道形:主査委員(高野佐三郎、内藤高治、門奈正、根岸信労、辻真平)。大正元年10月に制定(大正6年9月加註、昭和8年5月加註増補)。それを原本とし、用語や文章表現を、全日本剣道連盟の統一の見解として現代的に改めたのが「日本剣道形解説書」(昭和56年12月7日制定)。

これが、
日本剣道形では、1・2・3・5本目が「先々の先」の技、
4・6・7本目が「後の先」の技
とされている出自です。
(気になったのは4本目だけが「互ニ先ノ気位ニテ進ミ」ではなく「互ニ進ミ」となっている点・・・)

では、日本剣道形の「先」はどのように理解すればよいのか・・・

そのものズバリの解説がありました。
月刊「剣道日本」2005年5月号p24-29. における
三橋秀三範士のお話です。
雑誌の記事からそのまま紹介します(一部略)。

「先々の先、後の先の問題が頭の中で整理しきれていないんだ。どうしてこんな混乱を今に招いたかというと、宮本武蔵の三つの先と、剣道形におけるそれとでは内容が違うからだ、宮本武蔵の先は、技のことを説明している。今でいうなら仕掛け技が先々の先、応じ技が後の先、相討ちが先と。現象面に見られる三つの勝つ技術、これを言っているのが武蔵の教えだ。一方で、剣道形の先々の先と後の先は、勝つ技術ではなく、勝つ機会のことを言っている。つまり、先々の先は「読み」、後の先は「反射」という説明でくくることができる。一本目は読みで勝つ。六本目は反射神経で勝つ。形を作ったときに、それをはっきり教えている。六本目は仕太刀が攻め込んでくる。攻め込まれて打太刀が小手を打つところを仕太刀はすり上げて小手を打つ。そのとき、仕太刀は打太刀が小手を打ってくることは予知していないんだ。「あ、来た」と、思わずすりあげて小手を打つから後の先だ。
・・・(略)・・・
高野佐三郎先生は現代のような科学的な説明ができず、抽象的な説明のしかただった。俺は高野先生に直接先々の先の説明を求めたことがある。そのときの先生の説明は、「互いに先の気持ちで進むのが一つの先、打太刀が面を打とうと決意するのが一つの先、その一つの先を知って先で勝つから、三つ先がつながって先々の先」というわけ。これは現代的な言葉で言えば「読み」だ。相手が面を打ってくるのを読む。
出ばなでも、先々の先で打つこともできるし、後の先で打つこともでき。例えば、相手が面を打つと読んでパーンと出ばなを打つのは先々の先だ。その読みがなく、相手が突然来て、反射的に思わず打ったのは後の先。これは動作の問題ではなく、精神の問題。機会の精神問題。
(そうすると、例えば追い込んで面を打つという場合にも後の先がある)
追い込んだ場合にも、先々の先も後の先も両方の場合がある。機会のとらえ方を読みでしているか、条件反射連動でしているか。
(じゃあ先生、先々の先か後の先かは、第三者からは分からんですね)
分からん。分からんでいいんだ。第三者から見たら、仕掛け技か応じ技かが分かるだけだ。それだから、一般ピープルには、まず仕掛け技と応じ技を教える。だけど、本当に大事なのは先々の先と後の先という部分。それは第三者から見ても分からないこと。(略)(「先々の先は、精神面を特に重視して、相手の打突を予知して勝ちを制する場合をまとめたものである。したがって、形の上からでは仕掛け技の場合と応じ技の場合がある」)
(「先」というのはどういうことでしょう)
先というのはだな。応じ技でも仕掛け技でも、いかなる場合も勝つことを先というのが一つの考え方。
(先と先々の先と後の先と、先には三つあるという、その教えにこだわっている。)
こだわっちゃだめ。動作と機会は別問題。別々に解釈しないといけない。機会がよくたって、動作が悪ければだめ。機会をつかむのは先々の先と後の先。それで、動作は先に打っているか、応じているか。性質が違うものなんだ。その性質の違うものを、宮本武蔵の三つの先と頭の芯からごっちゃにしているから、どうにも理解できない。
(略)
精神状態は先だ!打つ気力、気迫、勝つための精神問題は先。そして、機会をつかむのが先々の先か後の先!」

とありました。

まとめてみると、
日本剣道形で求められている「先」における「先々の先」と「後の先」は、勝つための機会を捉える精神面の理合を表わしたものとする。「先」という考え方は「打突の機会を逃さないぞという打つ気力、気迫」といった精神的意味と捉えて位置づける。勝つ場合の機会を捉える理合は、「先々の先」と「後の先」の2種類で状況判断することになる。そして、その「先々の先」とは「読み・予測」によって機会を捉える理合であり、「後の先」とは「反射」によって機会を捉える理合である。
ということです。

そして最後に

「この先々の先と後の先を修行することが、
社会生活を送るなかで、剣道がためになるものだ。
人間の社会生活は何のためにある?
「読み」をすることによって社会生活はよくなっていくだろう。
剣道をやることによって社会生活をよくすること、社会生活をよくするその秘訣はなんだ。それが読みだろう。
その読みを、習得すること、それが「形」だ。
交通でも、向こうがどのくらいのスピードで来るかを読むから交通事故に遭わないんだ。そういうことも含めて剣道の修行を生活に活用する。そういうものがなかったら、剣道をやらなくてもいい。スポーツをやるのと剣道をやるのはどこが違う?生活のためになるかならないかが、剣道とスポーツの違いといったっていい。剣道で読む力、機会をつかむ力を身につける。そして、それを身につけて、自分たちの日常生活にそれを活用する。
その比類のない精神が、伝統的な剣道の真髄だと俺は思うが、
どうだ?」

三橋先生の叫びが聞こえてきそうです・・・・
posted by カン at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年10月06日

「先」の話3

現代剣道における「先」では、
高野佐三郎範士の「剣道」という古典的名著に記載された「先々の先」、「先(先前の先)」および「後の先」の3つが有名です。

「先々の先」:
 相手が起こるより先に、「敵の起こりを機微の中に見つけて直ちに打ち込み」、機先を制することをいう。相手を打つのが敵の「先」に更に先んずる「先」なので「先々の先」という。この「先々の先」では、敵はまだ打つ動作になっていないところを、こちらから先に打ち込むので、外見上ではこちらが先に打ち込んでいるように見えるが、内容は異なっている。こちらから先に懸かるので「懸かりの先」ともいう。(要約、一部略)

「先」(または「先前の先」):
 敵のほうから隙を見つけて打ち込んできたものを、「敵の『先』が効を奏する前に早く『先』を取って勝を制する」のが「先」(または「先前の先」)である。応じ返し、摺り上げ、体をかわして打つ技を使う場合などは全て「先」の技とされている。(要約、一部略)

「後の先」(または「先後の先」、「待の先」):
 敵がこちらの隙を見つけて打ち込んできたものを、切り落としたり、太刀を凌いだりし、「敵の気勢が萎えるところを強く打ち込んで勝つ」のが「後の先」である。したがって、(または「先後の先」)ともいう。(要約、一部略)
(高野佐三郎範士の「剣道」島津書房, p161-162, 1981.より)

これらをまとめると

・「先々の先」(懸かりの先):相手が起こるより先に、敵の起こりを機微の中に見つけて直ちに打ち込み機先を制する場合とその技。(外見上ではこちらが先に打ち込んでいるように見えるということなので、現象面では仕掛け技?)

・「後の先」(待の先、先後の先):敵の気勢が萎えるところを強く打ち込んで勝つ場合とその技。(現象面では、打ち込んできたものを、「切り落とし」たり、太刀を「凌いだりして応じた」後に勝つということなので、応じ技?)

・「先」(先前の先):敵の「先」が効を奏する前に早く「先』を取って勝を制する場合とその技。「応じ返し」、「摺り上げ」、「体をかわして」打つ技は全て「先」の技という位置づけになる。(現象面では敵の「先」が効を奏する前の応じ技?)

といったように
打突して勝つ方法の場合分けがなされています。
特に「先々の先」(懸かりの先)では、
「相手が起こるより先に、敵の起こりを機微の中に見つけて直ちに打ち込み機先を制すること・・・、外見上ではこちらが先に打ち込んでいるように見える」とされるなど、
剣道形の1本目における現象面の勝ち方とは異なっているといえます。

武蔵の場合の、勝つ技の3つの現象面の場合分けも
 「懸の先」(先):自分から打突して勝ちを制する場合(:仕掛け技、含む出端業)。
 「待の先」(後の先):相手が打突してくるのをはずして勝ちを制する場合(:応じ技)。
 「躰々の先」(先々の先:)相打ちで勝ちを制する場合(:相打ちの技)。
といったことでしたので、
有名な両者、
戦国時代の宮本武蔵さんと教育系剣道の祖ともいえる高野佐三郎翁の分類法の視点としては、
勝つための技の現象面からみた3つの分類法が
著書には記載されているようです。
posted by カン at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年10月01日

「先」の話2

まず、「三つの先」で古典的に有名なのは、
宮本武蔵の「五輪の書(火の巻)」にある「三つの先と云ふ事」

「先」には三つあり、一つは「懸(けん)の先」、二つ目は「待(たい)の先」、三つ目は「躰々(たいたい)の先(「体々の先」としている資料もある)」とし、
その三つについて以下のように述べています。

「懸の先」:
我かゝらんと思ふ時、静にして居り、俄かに早くかゝる先、上を強く早くし、底をのこす心の先、又我心を如何にも強くしても、足は常の足に少し早く、敵のきわへ寄ると早く揉み立つる先、又心をはなつて、初中後、同じ事に敵を挫ぐ心にて、底までつよき心に勝つ、是れ何れも懸の先なり。

 現代風に読むと
自分が懸かろうと思う時、静かにして時をはかり、俄かに早く懸かるのが『先』である。体の上を強く早くし、底をのこす気持ちでやる『先』、又自分の心の思いを強くして、しかも、足は常の足より少し早い程度で、敵のわきへ寄ると、早く揉(もむ)み立つる『先』、又心も敵に照準を合わせて、初、中、後、同じ事に敵を挫(くじく)く心にて、こころの底までつよき心で勝つ、是れ何れも懸の先なり。

「待の先」:
敵我方へかゝりくる時、少しも介意ず、弱きやうに見せて、敵ちかくなて、つんと強くはなれて、飛付くやうに見せて、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先、又敵かゝり來る時、我もなほ強くなつて出る時、敵のかゝる拍子のかはる間を受け、そのまゝ勝を得る事、是待の先の利なり。

 現代風に読むと
敵が我方へ懸かりくる時、少しも心配せず、弱いように見せて、敵がちかくなって、つんと強くはなれて飛びつくように見せて(狼狽を装い)、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先である。又、敵懸かり来る時、我もなお強くなって出る時、敵の懸かる拍子の変わるタイミングを受け、そのまま勝を得る事、これが『対の先』の利なり。

「躰々の先」:
敵早くかゝるには、我静につよくかゝり、敵近くなつて、つんと思ひきる身にして、敵の餘裕の見ゆる時、直につよく勝つ、又敵静にかゝる時、我身浮きやかに、少し早くかゝりて、敵近くなりて、一揉み揉み、敵の色にしたがひ、強く勝つ事、是體々の先なり。

 現代風に読むと
敵が早く懸かるには、自分は静につよく懸かり、敵近くなって、つんと思い切った態勢になり、敵が(時間的に)余裕(対応出来ない)が見える時、直につよく勝つのである、又、敵静に懸かる時、我身軽やかに少し早く懸かりて、敵近くなりて一揉み揉み、敵の対応に従い、強く勝つ事是「躰々の先」である。

ということです・・・
これらは、現象面からみた勝つための技の使い方を3つの「先」としてまとめています。

これらをまとめると
勝つ技の3つの現象面は
・「懸の先」(先):自分から打突して勝ちを制する場合(:仕掛け技、含む出端業)。
・「待の先」(後の先):相手が打突してくるのをはずして勝ちを制する場合(:応じ技)。
・「躰々の先」(先々の先:)相打ちで勝ちを制する場合(:相打ちの技)。
といった、
現象面からみた3つの場合に分けられているということです。

しかし、現象面を基準にまとめられているとしましたが、
内容的には、相手の心を読むことを重視するなど、
精神面についても関係した記述になっています。

以上、参考:(1)三橋秀三「剣道」, 大修館書店, p287-291, 1986.
(2)http://www1.bbiq.jp/web416/musasi-gorinnsyo.html
posted by カン at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書