2011年09月30日

「先」の話

先週のオンタケ講習会で
形稽古の時間に段別のグループ練習があったのですが
私は、サクド〜先生から5段グループの担当を任されました。
その時、私のグループは、
「先(せん)」を意識したリアルな稽古内容を意識しようとしたのですが
グループの方々と私の間に奇妙な意識のズレを感じました。
そのときは、その原因が分からなかったのですが
ひょっとしてコレか???と思い至ったのが
「先」の話・・・

剣道における勝つ機会である「先(せん)」は、
「3つの先」が一般的です。
しかし、この3つの先の内容は、意外に整理されて呈示されることが少ないので、
正確に理解されていない場合があります。

例えば、
私は子どもの頃に教わったのは、

「先々の先」:出端の技
「先」:「先々の先」の場合を除外した仕掛け技
「後の先」:全ての応じ技

といったように、
相手が打突する先に打突して勝ちを制する場合だけを「先」とし、
応じ技はすべて「後の先」とする考え方でした。

この分類法は、子どもには理会しやすいかもしれませんが
この理解に留めたままだと
日本剣道形の理合にある「先々の先」が理解できなくなってしまうようです。

剣道形では、
1・2・3・5本目が「先々の先」の技、
4・6・7本目が「後の先」の技とされています。

ところが、
打太刀と仕立のやりとりの現象面からみますと、
全て打太刀からの先に打ち込む手順になっています。
仕太刀が先に打太刀に仕掛ける場合はありません。
全て応じ技の組太刀で構成されています。
つまり、現象的には見取りやすい「先々の先=出端の技」という図式は成り立たないということです。
1・2・3・5本目で「先々の先」の技の稽古が課題になっていても
稽古者は、何をもって「先々の先」の「機」を学めばよいのかが判らないということです。

したがって、剣道形における「先」を理解するには、

精神的な作用における「先」の機会を理解しなければ
形で要求されている理合の稽古はできないことになります。

しばらくは、このような「先」について備忘してみたいと思います。
(参考:三橋秀三「剣道」, 大修館書店, p287-291, 1986.)
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2011年09月24日

おんたけ講習会(2011)に行ってきました

おんたけ講習会も19回目となり、来年は20回記念として
特別な企画が工夫されるそうです。

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第19回おんたけ剣道指導者講習会
日時:平成23年9月23日・24日
会場:長野県木曽郡大滝村 国民体育館
講師:作道正夫・小久保昇治・太田欣之・森岡宏光・折口築

台風の豪雨による影響で道路事情が心配されましたが
早朝5:45出発。
今年の参加者は、私、T嶋、A嬢、W嬢(?)
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着いてみれば、快晴でした。御岳の山々がきれいでした。
猿も沢山見かけました。

講習会

午前の部(9:00〜12:00)
1. 小久保先生による剣道のための「体つくり運動」の体験:体力を高める運動、じゃんけんゲームによる体ほぐし等。
2. 講話(作道先生):今年の様々な震災と剣道に関するエピソードを紹介いただきました。
3. 剣道形(段位別稽古):太刀7本の理合に則った真剣味を形稽古の中核とする趣旨で行いました。

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小久保先生(全日本学校剣道連盟 副会長)

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体育授業で懐かしい、「手押し車」

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受講生も小久保先生の世界にドンドン引き込まれました。

お昼ごはん
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御嶽に来ればコレ!、お昼はイノブタ丼。

午後の部(13:30〜17:00)
おんたけ5.jpg

基本指導(作道先生)と指導稽古(講師等元立ち)
・素振りでは、大きく尻まで振りかぶることによる(手の内を変えないまま)肩関節の可動とその後の竹刀の振りきりによる有効打突感覚の重視。
・切り返しの際の元立ちの受け方(応じ業が可能な左手の位置の大事)。
・切り返しの際の呼吸法。
・胴による切り返しの際の腰のキレ。
・送り足打突の際の「右足の踏み出しの要領」、「左足のひきつけの要領」、「左足引きつけと踏み込み足(右足)の繰り出しの同調」、「体造りと体重を乗せた踏み込み足」。作道範士が詳細にゆっくりと示範して下さったが、どれ位見取れたでしょうか・・・
・色のない送り足による攻め込みからの面と小手。
・お相手と竹刀をなじませて(業前のツクリ)からの払い小手と上からの小手(左手の突き落としと右手の送り出し)。
・お相手と竹刀をなじませながら、体さばきを行い、爆発的な小手―面。
・面あるいは小手に対して縁を切らない応じ業5連続。

講習会終了後、直帰。
21:15 上越着。

その他、
講話では、今年の様々な震災と剣道に関するエピソードを紹介いただく中で、良寛(りょうかん、1758―1831)和尚の以下の言葉が紹介されました。

江戸の俳人、山田杜皋(とこう)にあてた手紙の中で

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

上記、誤解があるといけないので、
後日、その文意を調べてアップします。
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2011年09月22日

リクエスト:道場と神棚

K先生のリクエストにお答えして、
今日は「道場と神棚」
少し、長いよ・・・

出典は、福島大学教授の中村先生の著書です。
最後の3行は心に留めてください。

 道場に神棚を設置するようになった契機は、明治32年(1899)3月に竣工した武徳殿に玉座を併設したことからである。
武徳殿本部での武徳祭は、平安神宮の龍尾壇上で挙行されたので神殿は必要なかったが、支部ごとの武徳祭は、支部武徳殿の玉座に仮神殿を設け、その前で挙行されたので、いつしか玉座の後に神殿を設けるようになり玉座=神殿というイメージを定着させていった(中村民雄「武道場と神殿(一)」『福島大学教育学部論集』第39号、1986年)。
 また、明治37・38年(1904・1905)に勃発した日露戦争、地方改良運動の名のもと、敬神崇祖を基軸とする国民道徳の強化が叫ばれ、国家と国民を結びつける精神的な支柱に神社神道が据えられ、小学生の神社参拝や各家庭での神棚設置は半ば強制されていった。
 さらに、1917年、ロシア革命により、世界最初の社会主義政権が誕生したことに危機感を強めた政府は、社会運動の取り締まりを強化し、治安維持に直接対峙する警察官の意識改革と大増員でこの事態を乗り切ろうとした。その警察官の意識改革の手段に神棚が位置づけられ、国家の警察官としての自覚が強く要請された。例えば、四谷警察署柳田警視が「思想界混乱の今日に処して署員が超然として警察精神を保持し斯務ぼ最善を致さんとするには、敬神主義を以て頭脳を養成すべきの要諦を認め、特に演武の大精神と合体して道場の神聖を保つには神前演武の方法を執り、先ず神殿礼拝に始むべきを考え・・・・・演武場正面最高位置に天照皇太神宮、香取神宮、鹿島神宮、明治神宮の守護神奉祀」(『日本警察新聞』第524号、大正10年3月)したように、神棚の設置がこのころから相次いだ。他にも「青梅、千住、南千住各所の道場には、従来神棚の設備なかりしが、此程何れも演武始めを機とし香取・鹿島の両武神の鎮座式を挙行」(『自警』第31号、大正11年2月)したという記事が示すように、このころまでにほぼすべての警察署の道場に神棚が設置されたことを伺わせるものである。その後、昭和3年には、警察幹部が伊勢神宮への集団参拝を行ったり、昭和10年には、警視庁屋上に神殿を造営し、天照皇太神宮を祀り、猿田彦神を随神として祀り守護神としたりした(『自警』第188号、昭和10年4月)。
 こうした警察の動きは、そこで師範をしていた武道家の意識をかえ、兼任先での学校をもかえていくことになる。昭和7年(1932)、全国の中学校における柔道・剣道の実施状況を調査した報告書(塩谷宗雄「武道の教育的考察」『師範大学講座体育・第12巻学校武道』建文館、1939年)には、柔道・剣道場とも神棚の設置率は50パーセント以下であったことが示されている。しかし、国内の思想・言論統制が加速度的に強化され、戦時体制へと移行しつつあった当時、この設置率は低すぎるとして槍玉にあがり、昭和11年(1936)5月5〜7日にわたって開催された文部省主催の体育運動主事会議において、「道場ニハ神棚ヲ設クルコト」という答申をうけた。これにより道場には神棚があった当たり前という状況が生まれてくるのである(『体育運動主事会議要録』文部大臣官房体育課、1940)。
 この答申があって以降、兆年抵抗を続けてきた柔道の総本山講道館においてもさすがに抗しきれず、昭和12年月10日に行われた鏡開式において、道場の貴賓席に神棚を設けたことを公表した。ここに文字通り、道場には神棚があって当たり前という状況が国家権力の力によって成し遂げられたのである。
 昭和20年(1945)8月15日、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏し、15年におよぶ侵略戦争に終止符がうたれた。このポツダム宣言には、信教の自由・政府の分離・軍国主義または極端な国家主義的思想の除去が明示されており、国家神道の解体と信教の自由は対日占領政策の基本であった。この宣言をうけて同年12月15日に発せられた、俗にいう「神道指令」によって神棚の除去が指令された。
 (ル)全面的乃至部分的ニ公ノ財源ニ依テ維持セラレル役所、学校、期間、協会乃至建造物中ニ神棚ソノ他国家神道ノ物的象徴トナル凡テノモノヲ設置スルコトヲ禁止スル。而シテ之等ノモノヲ直チニ除去スルコト。
 この指令をうけた武徳会は、直ちに各支部に対し「神殿・神棚等撤廃ニ関スル件」を発し、「神殿神棚及一切ノ神道ニ関スル象徴ハ直チニ撤廃」するよう命令した。ここに国家権力の瓦解とともに、いとも簡単に撤廃され、国家神道との結びつきを強めてきた剣道自体も実施できないような状況になってしまった。
 昭和27年(1952)の講和条約の発効とともに、この神道指令は効力を失うことになったが、その精神は日本国憲法第20条と89条に生かされており、あらゆる宗教を国家から分離し、あるべき真の姿にもどす拠り所とされている。したがって、憲法学説上からも公共の武道館に神棚を設けることは憲法に違反するものであるという学説があるように、厳に慎まなければならない問題である。
 以上述べてきたように、道場に神棚が設置されたのは、日本人の伝統的習俗でも何でもないのである。数十年前、国民の思想善導の名の下に、国民教化の媒体として道場に入ってきたものであることを剣道家はよく自覚すべきである。そして、何事も「伝統だから」といって片づけられてしまう事柄が、意外にも、明治末期から大正・昭和初期に形づくられたものが多いことを再認識する必要がある。

以上、「中村民雄:剣道辞典, 島津書房, 1994.」より
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2011年09月17日

道場での注意事項5

それぞれ違っていても構わない行為について

・面手ぬぐいの巻き方
 一般的には2種類ある。早くかぶるために普及してしまったワンタッチの頭巾型は、初級者の子ども達専用と考えたい。稽古中に絶対ずれないのは、「手ぬぐいの両上端を持って、下辺中央辺りを噛んで固定したまま両上端を頭に巻いてから折り返すかぶり方」(全日本選手権なんかで選手が必ず使っています)。

・面ヒモの巻き方
 以前は、面ヒモを上から着けるのは関西や九州に多かった。組討等で取れ難いという利点あり、でも面着けるのに時間がかかる。私も大学に入るまでは上から着けていた。下から面を着けるのは関東方面に多かったそうだ。これは、着ける時間が早く済むが、下方からの衝撃で着装がずれたり取れたりしやすい。

・面の取り方
 「面を取る時は周囲から貌が見えないような顔の前の位置にいったんはずした面を留め、手ぬぐいで顔の汗をぬぐう」というパターンが増えています。私は小学生の時、「顔の汗を拭く前に、面の中に付いた汗をぬぐえ」と教わりました。防具に感謝して大切にするという意味において、後者が好きです。

他にも、色々あると思います。
注意事項、禁止事項、間違えやすい事項、違っても構わない事項など
皆様からも教えていただけたら幸甚です。
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2011年09月16日

道場での注意事項4

間違えやすいこと

「目印」

よく、「たすき」って言ってしまいますが、
全日本剣道連盟剣道試合審判細則第4条では「目印」。
「試合者の目印は、全長70センチメートル、幅5センチメートルの赤および白の2色とし、試合者の胴紐の交差する位置に二つ折りにしてつける。」とあります。

でも、
「目印」と呼ぶより、
由緒ある名称の「たすき」の方がふさわしいような気がしますね。

ついでに

「たすき(「襷」)」とは、

デジタル大辞泉によると、
1 和服の袖やたもとがじゃまにならないようにたくし上げるためのひも。背中で斜め十文字に交差させ両肩にまわして結ぶ。
2 一方の肩から他方の腰のあたりに斜めにかける、輪にした細長いひも。「次走者に―を渡す」
3 ひもや線などを斜めに交差させること。また、そのような形や模様。
4 漢字で、「戈」などの「ノ」の部分。
5 古代、神事に奉仕するための物忌みのしるしとして肩にかけるひも。
ということです。

この紅白の目印、
私は子どもの頃に「赤白のリボン」なんて言っていた記憶があります。
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2011年09月15日

道場での注意事項3-2

黙想の時の手に関する追加

古来インドでは手の形で意志を現す習慣があり、
この習慣が発展して瞑想している時の色々な印相が生またそうです。

その中のひとつである法界定印は
膝の前で掌を上に向け、右手の上に左手を重ね、親指の先を合わせた印で、お釈迦さまの坐禅の姿でもっとも一般的な印相といわれています。

五本の指は五大を表わすそうですが、仏を表わす右掌の上に、衆生を表わす左掌を重ねる事によって、仏と衆生が一体である事を象徴しているということです。

五大(ごだい):あらゆる世界を構成しているとする地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素のこと。
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2011年09月14日

道場での注意事項3


指導上、我が道場で統一したい行為というのを考えてみました。

・黙想の時の印相
 黙想のときの手は、右手が下、左手が上の法界定印(ほうかいじょういん)が最も多いのだが、高田修道館の子どもたちの印相がバラバラになっていた。この印相の型や右手と左手に関する宗教的解釈は様々なので、必ずしも「右手が下、左手が上」でなくてもよいらしいが、戦後の剣道指導の世界では「黙想のときの印相は、右手が下、左手が上」と指導される場合が最も多い。

・名称としての「面タオル」か「手ぬぐい(面手ぬぐい)」か
「面タオル」の名称も俗称として市民権を得ているけれど、やっぱり名称は「手ぬぐい(面手ぬぐい)」かな。全剣連の決め事でも「手ぬぐい」で統一されている。

試合の場面で
・試合中に相手が倒れたり、竹刀を落とした場合に直ちに加えた打突
 競技ルールでは反則行為ではないが、武道精神として考えた場合、このような行為は慎みたい。道場内での稽古中にだって、相手が倒れたり、竹刀落としたときに打ったりすることありませんよね。
・コート際の「押し出し」
 見苦しいです。勝負は打突の攻防で決着をつけたい。また逆に、安易にコートから出てしまう行為も武道的意味合いにおいて緊張感がない。

今日はこれだけ。
「道場」に関するリクエストはただいま調べ中・・・
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2011年09月11日

秋の受験者講習会がありました

日時:平成23年9月11日(日)
会場:黒崎総合体育館

今日は昨日に続いて暑い一日・・・
秋の受験者講習会がありました。

講師:岩立三郎範士

まず、
講話:
 「正師を求めること」の大事、「継続」の大事、「勇気」の大事についてお話をいただきました。そして、最後に、「そこにいるとみんながが喜ぶ人、そこにいるとみんなの役に立つ人、そこにいないとみんなが困る人」そんな指導者を目指して下さいと締めくくられました。

受験者講習2011.jpg
立会い指導(印象に残ったポイント):
 不安な状態で技をださないこと
 苦し紛れに小手を打たないこと
 得意技を必ず出すこと
 打たれた後に、取り返そうとする意識をもたないこと
 審査員を引き込むほどの迫力や発声の大事
 遠間から引き出して打つ
 相手を浮かせて打つ
(私個人として:打突力(キメ)の大事、構え力の大事、含み足の用い方に注意 というご指導をいただきました。)

午後は、剣道形と互角稽古と指導稽古。
指導稽古の時間には、S・シン教士に二度も御願いして、百叩き×2 の目に合ってしまいました。
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2011年09月10日

道場での注意事項(その2)

今日は「やめてほしい行為」を並べてみます。

考えてみると結構色々あります。
共感してくださる方も多いのではないでしょうか。

・キャスター付の防具袋で道場内や体育館内を引きずる。
  床が傷つきます。

・竹刀を杖のように床に着く。
  いまだに、全国審査会場や大会で散見する。年配の先生に多い。
  竹刀は刀の観念。先革が破れやすくなる。先革にごみが付着する。

・掛け声や発声はお相手が不愉快にならないような配慮を
  掛け声で「そらそら」とか「ほれほれ」等を言われるとムカッとするのは私だけでしょうか?。  発声では打突後の無用なアピール「面あり〜」とか「お小手わぁ〜」等で勝手に縁切られると不快ですね。

・終わった後の駆け寄り
  中学生や高校生が指導稽古後の立礼の後に傍まで駆け寄ってくる。いつから始まったか知らないが、変な習慣だ。稽古後の礼式の後で挨拶するのが普通だろうに・・・。こういう人に限って、 稽古後は挨拶に来ない。

・稽古中の立ち話的指導
  皆が稽古中に道場の稽古空間エリアで立ち話されたら、周囲に危険。お相手は稽古の集中力が途切れる。

・頻繁なつば競り合い
  剣道は鍔競り合い競技ではありません。

・その道場の主たる指導者の先生に一番にかかる。
  同年代や同格の仲間と稽古するのも楽しいことなのですが、他の道場への訪問稽古では、その道場の師範的な立場の先生に最初に稽古を御願いするのが大切でしょう。他所の道場で最初から元立ちに立つなどは、控えたほうが賢明です。
・元立ちを空けない
  昔からの常識です。でも、最近は自分でも元立ちに断つ場合が多くなって、人に並んでもらえるような元立ちとしての稽古内容も大事だということを心がけるようにもなりました。

以上
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2011年09月08日

道場での注意事項

先日、長岡在住のK先生に
道場での立ち振る舞いについてブログで書いてくださいよ、
なんて言われたので
今日は、時折気になっていることを少し挙げてみます。
(このリクエストに答える理由は、先日の高段者大会での相変わらずの先生方のマナーの不十分さが目に付いたから・・・)

道場でお互いが気持ちよく過ごすために
(結論的には、場をわきまえるとか、場に応じて、ということだけなんだけど)

道場.jpg

道場(稽古場所が体育館の場合も同じ)に入場したら
・道場(稽古場)への一礼
・稽古場の代表者や運営責任者等に挨拶
・仲間との挨拶
・挨拶は15°の礼(あまり深すぎると帰って慇懃無礼)。
・外部の道場におじゃました場合は、上座を確認の後に下座等へ防具を配置
道場内で
・防具の着脱は正座にて行う
・着装は正確に
・竹刀点検
・ペチャクチャとお喋りしない。大声での会話はもっての外。
・場内でドタドタと足音たてて走らない
・携帯電話の電源を切るかマナーモードにする。
稽古中
・面は人よりも早く着ける。
・丁寧な礼法。
・勝手に面を外さない
・早退や休憩する場合は、主たる指導者に一言でも断りを入れる。
・みだりに上座に立たない。(私は小学生の時の恩師から、上座に立つ元立ちは掛かり手に突き殺されても文句が言えないという覚悟で立つようにと教わりました・・・)
・ひとりに御願いする稽古は、集中して短時間(ダラダラ、ヘラヘラと同じ相手と稽古しない)。
・お相手が不快に感じる「つば競り合い」、「引き上げ」、「後打ち」は慎む。
稽古後
・面は人よりも遅く外す。
・稽古を御願いした相手には稽古後に必ずお礼の挨拶。
・道場の清掃は協力して行う。
・退出時は稽古場に一礼。

もっと色々あるのですが、たったこれだけの当たり前のことでも、うっかりすると、おろそかになることばかり。
このようなことを皆が守れば、道場内の雰囲気がビッと引き締まるはず。

こんなこと書き出すと、気になることばかりです。
色々と道場内の作法を調べてみようかな・・・
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2011年08月17日

花巻へ稽古に行ってきました(2)

花巻合宿での備忘です。

・「欲を切り落とす」
(前略)・・・・・、自分だけいいところを打とう、自分だけ生き残ろうとするとお相手の兆しを見ようとせず、自分勝手な打ちだしとなってしまいます。お相手を認めながら合気になることにより自然と四戒は消え、相手の兆しを感じることができるはずです。まずは、自分の欲を切り落として、捨て身になりきることを目指して下さい。
(M先生の貴重な備忘記録をご好意により開示)

・「先をかける」
打ってきたら〜するではなく、打ってこいと仕掛ける。これが先をかけるということ。機をみて仕掛けるが、その機は自分で作る。
(カンザキ監督の基本指導より)

・「工夫」
普段の稽古がすべて上手に掛かかる稽古と同様な内容になるように工夫すること。
(秋田、アイ・ブラック範士)

・「独楽体」
自ら先んじて充実した独楽体となり、お相手の独楽体を導き出し、独楽と独楽が接触して弾け飛ぶ気のスパークの刹那を意識化する
(サクド〜範士)

・最後に
「稽古が出来る幸せ」
(釜石、Y先生よりお聞きした震災に関わるお話しから)
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2011年08月05日

上越市夏季剣道講習会(2)

夏季剣道講習会二日目

iwadatesennsei.jpg
一般部は、岩立範士による講習会が終日
午前中は、剣道形
午後は、模擬審査風の立会い稽古

私は、午前中は中学生受験者の形指導を行っていたので講習には参加できませんでしたが、
午後の段別の模擬審査には出席することができました。

ご指導いただいた内容の覚書として

審査時における心がけでは
「さらに勢いを得るための、もう一声の発声の工夫」
というお言葉が私には印象的でした。

また、
相互の地稽古では
相手との繋がりを大切にすることや、
元立ちは従う立場の心がけ、掛かり手は元立ちの得意なところで勝負する心がけ、
といった趣旨のお話しをエピソードを交えながら全体指導いただきました。

個人的にいただいた助言は
左手の納まる位置
打突時の左肘の収まり方、
とった内容で
指導稽古では
範士に対しての正中への打ち込みを「ウェ」という程させていただきました。

(この私の左手の使い方は範士にはとても気になるらしく
夜の懇親会の際にも、手関節や肘関節の角度の要点まで含めて随分と細かく分析していただきました。)

この日の、指導稽古時間は、約1時間。
白井八段、山田八段も稽古に参加いただき
受講者にとってはありがたい稽古会だったのではないでしょうか。

山田先生からは、私の立会いの内容で気になった点を具体的にご指摘いただき
大変ありがたく思いました。

今日も、学びの多い一日となりました。
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2011年08月03日

上越市夏季剣道講習会がはじまりました(1)

平成23年度 第59回 新潟県上越市夏季剣道講習会
期日:平成23年8月3日(水)〜6日(土)
会場:上越市総合体育館

今年で59回になります。
来年の60回講習会は、記念講習会として何か特別な企画を考えたいと思っています。
(備忘です)

私は、現職場に赴任した1985年(昭和60年)から
初段受験の部をずっと補佐したり担当したりしています。

思い起こせば、
当初は、故占部誠範士、故佐藤毅範士、故草間昭盛範士の指導補助を務めました。
今となっては、もっと色々と剣道のお話しをお聞きしておけばと悔やまれますが、あとの祭りです。
先生方が引退や逝去されてからは、私が主任的な立場で皆様の応援を得ながらなんとか切り盛りしています。
26年目だよ・・・

さて、今年の講習会は
特別講師として
千葉県の、岩立三郎範士をお迎えしました。

今日は、その1日目。
午後から、講話と指導稽古を頂戴しました。

講話の内容については範士から許可をいただきましたので
後日、アップいたします。

指導稽古は、約90分の元立ちを御願いしました。
稽古後に範士「うわ〜、暑かったな〜。長かったなぁ〜。最近ではうちの道場の地稽古でも1時間少ししたら面取るようにしてるのよ」とのことでしたが
噂にはお聞きしていましたが、長時間を最後まで妥協無く立ち切られるという岩立範士のお姿は
70歳を越えた剣士としては超絶のレベルだと思われました。
(自分が今から20年後に同じことがやれたら、嬉しいなぁ、自信ないけいど)

初日の範士からの重点指導項目は、

素振り方法の修正!

振りかぶりは、上方45°の角度を基本としつつ、
各人の発達段階や上達段階に応じて、
肩甲骨、肩関節、肘関節、手関節、指を存分に意識して使った大きな素振りを行うこと。
といったことを意識するようご指導いただきました。

私個人へは
剣先の高さの修正
打ち起こしに力動感を加味すること
瞬時の応じ技を必ず習慣化すること
といった趣旨のご助言をいただきました。
感謝!!!!

今日の私の地稽古、
中学生女子から範士八段まで15名。

岩立範士は、(多分)30名超・・・・・
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2011年06月15日

胴紐(乳皮)の結び方

先週の女子講習会で、着装の指導の際に好評だったらしい、胴紐(乳皮)の結び方の一つである「鎧結び」をあらためて紹介します。

私は、この結び方を大学時代の同級生の主将から教わりました。
胴の乳皮は長年の使用にも耐える丈夫な皮ですが、
この「鎧結び」で胴紐を結んでいると、乳皮の一点にのみに荷重がかからないので、
もっと乳皮が長持ちするということでした。

この結び方は、アウトドアなどでも用いられるロープワークのひとつである「ハーネス・ループ:HARNESS LOOP」と同じです。
斜めに張ったロープにランタンを吊す時などに使用します。
災害現場や戦場では点滴の瓶を吊す時にも用いられる、ロープの中間に輪を作る結び方です。

よろいむすび.gif

@ ロープの中間をひねって、輪を作ります。図のように、輪の一部を、直線部分にかけます。反対にひねった場合は、その後も反対の結び方をしないとうまくいかないので、図を見て確認してください。

A 図の点線のところから指を入れて、B の部分をひっぱり出すようにします。

B 引っぱり出した時の形です。この状態から結びをしめて、、、

C完成です。
C 、D の方向に強いテンションがかかると、結びがくずれてしまうので注意して下さい。

ということです。

参考:http://www.roy.hi-ho.ne.jp/asunoro/s3cont/r_work/yoroi.html
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2011年05月18日

ロード・ザ・京都2011(5月4日の巻)

なかなか終わらない京都2011備忘録
(すみませんねぇ)

4日の朝稽古、
7名に御願いできた。
手当たり次第に掛かりっぱなし・・・

この朝稽古を含め、
今年の京都で頂いた助言の覚書は
・ 次に繋がる攻めの工夫
・ 左足底で押し出して、大きな力を得る
・ 左の手の内の操作
・ 右肘の収め方
・ 間詰めと捨て処の意識化
・ 圧力で攻め込む工夫
・ 打ち切りの工夫
・ 重い打突の工夫
・ 打突前の呼吸
・ 自分から仕掛ける際のルール
・ 立会いを通じて何を見せるか
・ 造りすぎないこと
・ 業が決まらなかったとき、下手に見えないような配慮
等々・・・、多いね・・・

立会い、午前の部
T嶋君の京都デビュー戦、
朝2番目の立会いをビデオに録画。

若手7段らしい溌剌としたリズムから初発を小手―面と仕掛ける。
その後は、お相手が初発のリズムにつられて出てこられるところを
一本目、小手。
二本目、胴と返して、2本勝ち。
なかなか策士やのぉ〜

午前、午後と見取り稽古で過ごした。
特に午後は、
北海道の「面打つと、すれ違う時にニヤリと笑う」八段先輩に声かけていただいて、
武道センター2階席から見られる稽古風景の事例を題材にして、
八段合格者の打突の違いや稽古時の心がけ、
あるいは、審査時の心がけについて教えていただいた。

この「面打つと、すれ違う時にニヤリと笑う」八段先輩は、
2次審査の「もう一歩の受験者」に何度も挙げられたほどの「魔の刻」を経験した方なのだが
この方の立会いに際しての心がけの結論は
・ 初太刀の重要性
・ 圧倒的な打突力の違い
に集約されていた。
そして、これを「必ず見せること」が必要だと
この時はニヤリとは笑わず
真面目な顔して話された・・・


色々なことがあった、ロード・ザ・京都2011、
この経験を糧に
もう一歩、前へ進みたいと思う。

この日は、夕方から神戸に戻り、
(本当です。イタリア料理の店でワインをガブ飲みなんてしていません。)
5日は、父親の病院の世話などをした後
6日の早朝に新潟に戻った。

あれ依頼、
京都でいただいた多くの助言を
ひとつひとつ
自分の体で吟味しながら
稽古、修正している毎日です。

なかなか上手くはいかないけどね。
posted by カン at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2011年05月07日

ロード・ザ・京都2011(5月1日版:8段一次審査の巻)

5:00 起床(緊張で眠れず・・)
隣接する御苑の周囲をジョギング30分
朝食抜き
(食事したら血流の一部が内臓にもしばらくは費やされるので、血流の大半を脳と筋肉に配分したいための私流の工夫です)
8:00 会場到着。愛知県から来られていたT先輩にお願いして、サブ道場で基本稽古(作道範士に指摘された「呼吸」の確認作業)。
9:00 受付開始、受験番号とお相手が決定。
9:45 審査開始

審査の進行中、ほれぼれとした内容の立会いは記憶に留め、
それ以上の立会いが出来るようなイメージ化の作業を努めました。
その中で、同窓の同級生T君が胆のすわった風格あふれる立会いを披露。
審査員の何名かが興味深げな様子で見届けているのが判った。
では、これ以上の内容が出来ればOKか・・・

審査の順番が近づき、
今日の留意事項を呪文のように唱える・・・
主たる課題を「呼吸に乗せて」とし、
その他は、
「兆しがあれば、迷わずはっきりと前に出る」
「竹刀はたっぷりと振り切る」
「竹刀は3回か4回しか振らない」
「床を踏み抜く」等々。

その後はあまり記憶がないので
夢中だったのでしょう(たぶん)、
見てくださっていた方々のお話から想起すると
お一人目には、「面」とか「応じ返し面」とか「小手・面」が
お二人目には、「面」とか「すりあげ面」とか「小手」とかが当たっていたらしい。
それが有功打突だったかどうかは知らないけどね・・・
今年は、昨年の「肋骨折れた事件」の時のような雑念がなかったのが良かったのかもしれない。
誰かビデオ撮ってないかなぁ・・

結果、一次試験「突破」。

恐るべし、サクドー効果・・・・・・

(つづく・・)
posted by カン at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2010年12月12日

今週の見取り稽古で

肋骨の怪我が治っていないため、
最近は見取り稽古や口だけ指導が続いている。

まだコルセットは離せないけど
痛みは、激痛から疼痛に変わりつつあり、
発痛部位は、左胸郭全体から、肋骨部分の数箇所限定に変わってきた。

もう少しかな・・・

お酒も控えていたら、
この一週間で2キロ痩せた・・・
へぇ・・

この怪我は、巷では随分有名になったようで、
子ども達や保護者の方々からもお見舞いの言葉を随分頂戴するようになった。
ご心配(?)いただきありがとうございます。

さて
そんな訳で(どんな訳だ?)
見学が続いていると、今更ながら面白いことに気づいた。

それは、
先日にも書いたけど
「上達しつづけること」や「上達するための稽古法」の大切さ。
そして
「退ない」ことの重要性・・・

相手の詰めや気当たりに、必ず剣先を下げながら後ろに退がって相手との拍子をはずした後に振りかぶって面や小手を打つ方々がおられるのだが、
その中のある先生、心境の変化があったのか、
今週の稽古では、お相手の詰めに乗り返すと同時にするどい面を何度も打ち込んでおられた。
非常によい機会を捉えた理のある面打ちだった。
今までは退っていたために、これほどの良い出足が発揮されずに埋もれていたわけだ・・・、
退かなくなったことによって格段に稽古の位が上がった印象を受けた。

たったこれだけのことなのだけど、
「上達しつづけること」、「上達するための稽古法」を見出すこと、そして「退ない」ことの重要性をしみじみ感じることが出来た一週間だった。

12月1日のアップした書き込みの「上達しつづけるために(by 岡村先生」をもう一度確認すると
@師匠と仲間が大事
A稽古数をかける
B技の選択と洗練
C健康の維持
Dトレーニング(体のつくりなおし)
E見取り稽古(稽古できないとき)
F読書による知的刺激(稽古できないとき)
Gストレスに勝つ剣道(生活の中での位置づけ)
そして、
「上達するための稽古法」として
@より良い一本を求め続ける。
A基本を復習し続ける。守破離
B打ち間・攻め・機会を(理解して)重視する。
C「退かない」心がけ。
D初太刀を大切にすること。
E自分の目標を追う稽古(目標は具体的に、明確に・・・)

ということだった。

このこと、
次回に自分なりに類型化して整理してみたいと思います。
posted by カン at 09:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2010年11月22日

愛知にて(その2)

全日本女子学生剣道優勝大会の前日には、審判員研修会があったのですが
そのとき、作道審判長が、
研修会用の資料として
「第58回全日本学生剣道優勝大会総評」と記された文章を配布されました。

その時の審判員だけが読むだけではもったいないと思ったので
以下に全文を備忘します。

(先生独特の言い回しが含まれているので解りにくい個所もあるかもしれません)

 10月31日、第58回全日本学生剣道優勝大会が大阪府立体育館で開催された。鳥居泰彦会長自らがプログラム表紙に揮毫された「剣風無窮」のご挨拶があった。今日のインターネット社会(個)にあって縦横(老若男女・三世代共習共導・生涯剣道)の絆の回復の意義が新生人類一万年の歩みの無窮性として嬉しく説かれた。
 八地区六十四大学の激突は、積極的に有効打突を取り合う「攻防一如」の闘いが展開され、好印象の大会となった。特筆すべきは、十一試合もの代表決定戦にもつれ込む激戦となったことである。
 見応えある闘いを一言で表現すると、「筑波−国士舘」積極的攻撃力の激突。「鹿屋体育大−東海大」東海の剣風に光り在り。「早稲田−筑波」柔よく剛を制す。「日本体育−慶応」慶応若松君という小さな巨人。「「東海−専修」専修の強かな戦気。「「立命館−日本体育」キャップテン下井の男気。「早稲田−日本体育」早稲田・四十五年ぶりの優勝、日本体育・初優勝に一歩及ばずであった。

「誇り高きマイナースポーツ宣言」(学生剣道への提言)
1.「手元と剣先をやや高くしながら、前に出しつつ、相手の攻撃を防御しながら攻撃するスタイル」について
 「ワイパー剣道」とでも称すべき技の使い方が流行している。これが、サッカーやバスケットのゲームにおける玉廻しの速いパスによってゴールへ迫る攻撃パターンの剣道版かと思われる。それはまさに、モバイルでネットワーク的な今日的な時代精神と一致した競技スポーツの攻撃パターンではないのか。剣道もまた、この時代精神と呼応した進化なのか、それとも退化なのか見極め難い。ジリジリと対峙の間合を詰める、静からから動へと一瞬に転じる醍醐味は何処へ?それは三日後の全日本剣道選手権大会の覇者高鍋選手(学生剣道出身)他数名の決まり技の中に垣間見られ、二十歳代後半から三十歳代前半の選手の修錬の精華に、日本武道館内は一瞬のドヨメキと感動の拍手の坩堝と化した。
2.鍔競り合いモドキの玉虫色の時間空間
 この間の高体連の「10秒程度で鍔競り合い解消」への取り組みが大学にも波及して好影響(攻撃的剣道)と悪影響(ワイパー的剣道)を及ぼしている。鍔競り合いにおいて、両者の剣尖と剣尖の縁が切れるところまで分かれて、はじめて鍔競り合いの解消となる。このことを審判がどう見極めるかにかかっている。先の「ワイパー剣道」とこの鍔競り合い不解消とが一対となって学生剣道を蝕んでいるのかもしれない。審判のここの見極めにかかっている。本年最後の全日本女子学生剣道優勝大会の課題としたい。
(文責:作道正夫)


ということで、この日の審判員研修会では、
翌日に向けての合い言葉が「鍔競り合いを正常化させる」になった。
posted by カン at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2010年11月18日

愛知にて(その1)

もう何日も経ってしまいましたが、
11月12日(金)から14日(日)までの2泊3日の日程で
女子学生の全国大会団体戦の審判で愛知県春日井市に行ってきました。

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12日は移動日で、現地で審判委員会の稽古会と懇親会。
13日は午前中から各種委員会と審判員研修会、OB稽古会、懇親会。
14日は、全日本女子学生剣道優勝大会の審判というスケジュールでした。

3日間でこんなことがありました。

その1
この期間中に、審判員の方々の話題になったことで
「速いうごきを審判することの難しさ」

一般に、
武道の技に「はやさ」を感じる理由には
お相手の技が
・ こちらの予測を超えて物理的に速いとき
・ 動作の流れに文脈がなくて、虚をつかれるとき
・ 技の発動に「序・破・急」があって、予測していた運動リズムを超えた変化(加速)があったとき
などにおきる。

この中で、
最近の若い剣道選手の動きに速さを感じる場合の原因は、
「物理的に速い」ことによる場合が多いと思う。

先月に開催された全日本学生剣道優勝大会(男子)では
有名校の代表選手の動きや太刀捌きの速いこと速いこと
まるでビデオ画像をコマ飛ばしで見ているかのようなスピードに感じる位に速かった。
審判の立場で見ていても、選手のスピードが速すぎるので、当たってしまえば「一本」という位に、打突の前後の運動経過や、相互のやり取りの文脈とは関係なく、選手のスピードに翻弄されてしまった場面が見受けられた。

先日の全日本選手権でも、優勝者の「面」の速いこと速いこと・・・
さらに、攻めのリズムにも緩急があったので、
対戦したお相手の選手は、防御しようとした時は打たれていたという感じではなかっただろうか。
あれほどの打ち切りと超絶のスピードがあったら、
「面」の前に当てられた「小手」などは動きの勢いで帳消しにしてしまうし、
「面」に当たったのか、「面の辺りにあった小手」に当たったのか、
などといった判断についても、視覚による情報処理の限界を超えているスピードでなされていたので、
審判の先生方も視覚、聴覚、運動共感能、経験智を総動員して審判された結果だろうと推察する(その結果の判定なので、あれでよいと思う)。

先日は、某範士ともその事についてお話しした。
某範士は、全日本選手権の決勝戦の審判もされたことがある方だった。
そして、その決勝戦で下した判定を、後日、他の先輩範士から人前で酷評された辛い経験をもつ方でもあった。

某範士曰く「技の前後のやりとりに運動共感して観ていないと剣道の判定はできないのだが、その世界に入り込み過ぎると瞬時にこちらもその技に反応(判定)してしまうため判定が早すぎて誤審が起きることもある。かといって、そういう感覚(技の前後の文脈に運動共感すること)をすべて捨てて審判してしまうと、有効打突を見落としたり判定が遅れたりする。この辺が、審判員として、とても難しいところ・・・。」
ということだった。

また、大会前日の審判員研修会では、
作道審判長の挨拶の中で、「審判員は、審判するということを、竹刀を持って稽古する時以上の自分の稽古にしてしまうような心がけで精一杯努めてほしい」」という旨のお話が印象に残った。

こういう視点の持ち方は審判を行う上で大切な心がけだと思った。

ちなみに、
人間の知覚を支える感覚機能の代表的なものは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚ですが、
その中でも
視覚は、感覚の中で最も情報量が多く、人間は8割以上は視覚に頼って物事を認知していると言われている。しかし、そのわりに間違いをおかしやすい頼りない感覚でもある。

聴覚は、視覚についで情報量の多い感覚。視覚と違って全方向の情報を受け取れる。そして、距離や方向まで特定できる優秀な機能であるが、視覚と同様に間違いも起こり、情報量は視覚と比べて十分の一以下だと言われている。

となっています。
posted by カン at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2010年11月05日

まだ大阪稽古会の賞味期限内のようです

大阪では稽古に関しては色々あったけれど、・・・
それを参考に今週は稽古してみました。

大阪での雑感
その1:こだわり
 大阪での稽古会の時、
 ある先輩に対して一足一刀よりやや遠い間合(と感じていた)で気当てを試みていたら、
 こちらは全く動けない(反応できない)ような機会で
 面をズバズバと何回も決められてしまった。

 この先輩、昔から、打ち抜ける瞬間に横目でこちらをニャッとしながら見る癖がある・・・
 この日も随分ニヤッとしていた(と思う)。

 その後、飲んでいる時に、その先輩にそのこと(ニヤッと笑うこと)を苦情言うと、
 本人は「絶対に笑ってなんかいない」と弁解するのだが、
 他の方に聞いても「いや、確かに、いつもすれ違い様にニヤッしますよ」というような笑い話があった。

 その時、
 「ところで今日の稽古だけど・・」という真面目な話になって、
 「今日、俺に出頭の面をたくさん打たれたよね・・・。あれは、そちらも同じところを意識してい るから起きる現象で、あそこを考えていない人との稽古では起きないことなんだよ・・・。多くの 人は、あそこが難しくてあきらめてしまい、他の方法で相手を打とうと工夫するんだけれど、絶対 にあそこを狙うことをあきらめてはダメだよ。」
 というようなお話をいただいた。

 自分の下手な稽古が、少し救われた気がした・・・・

その2:これでいいのだ
 稽古を御願いした先輩方に感じた共通として
  小技の無視
  溜めと先々の先
  緩まない気勢
  打ち切り
  「俺が最高」的な思い込み
 があったように感じた。
 そう・・・
 これでいいのだ(バカボンのパパ)・・・

3、その後の稽古
 11月1日(午後、上越着)
  初心に帰って、大学生を相手に出頭面の稽古。
  剣先に色を見せるタイプの学生には面が結構決まる。
  そう、これでいいのだ(ろうな・・・)。
 11月2日
  小学生や中学生を相手に出頭面の稽古。
  子どもはからだが軽くて速いので、対応が大変・・・
  すばやく動ける子たちと稽古すると、自分の左足の備えが甘いのがよくわかる。
  竹刀の柄を小判型に変えてみました。良好です。
 11月3日
  祭日ということもあって
  7時半から9時まで朝稽古。
  途中退席者もあったけれど、参加者は14名。
  基本稽古30分。1分間回り稽古11回(15分)。自由稽古、約45分。
  大阪での稽古が、まだ賞味期限内だったようで
  「これでいいのだ」的なイメージになりきってみたら
  なかなか気持ちが充実した稽古ができた・・・
 11月4日
  大学生相手に「これでいいのだ」的稽古をさらに確認。
  踏み込み時の左膝の抜きと剣先の高さを微調整したら、体の出が良くなったような(たぶん錯覚  だけど・・・)。
 11月5日(2部錬でした)
  朝稽古では昨日の「左膝の抜きと剣先の高さ」を再確認。
  夜の稽古では、確認事項に注意しながら小学生や中学生を相手に出頭面の稽古。

明日も朝から大学生と稽古、夜は土曜稽古会の2部錬だぜぃ。
posted by カン at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書