2017年01月25日

ただねり込みて功をつむべし2017

館長備忘録 セカンドシーズン(60)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには

ただねり込みて功をつむべし

鞍馬流教訓歌 
「器用をも得手も達者もたのむまじ ただねり込みて功をつむべし」
http://www.shuseikan.com/about_kurama/

寒稽古も終わり、今朝は普段の朝稽古でした。

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やや少し・・

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新7 A嬢 ただねり込みて功をつむべし

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最強戦士マモル翁 喜寿

短歌
「学生を 相手に喜寿の寒稽古
打ちて愉しや 打たるるも良し」
by マモル翁 2017.1

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2016年10月28日

「この現状をどのように打破するか」という「問い」2016秋

館長備忘録 セカンドシーズン(47)
突き抜けることを祈念しています。

そのために
「この現状をどのように打破するか」
という「問い」と闘っています。

そのための参考にと 過去のブログをひもといてみました。
そしたら、こんなこと書いてありました。
自分で書いたくせに忘れてたんだけど
備忘録は大事だな・・

以前、居合のY範士に薫陶を受けたのですが
Y範士曰く
「仮に、稽古環境や時間に恵まれた人であっても
一日に稽古できる時間はせいぜい1〜3時間であろう。
この程度の稽古で先人の境地に達することは無理ではないだろうか。
現代の我々には『40年の稽古を80年の稽古にする工夫』
がなくてはならない。
すなわち、単なる技の稽古だけでなく、
道場内での所作はおろか日常の立ち振るまいすらを
自らの稽古とする工夫が必要である。」

そうなんだよね・・・・
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2016年07月22日

作法と気遣いの話2016

館長備忘録 セカンドシーズン(39)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
他の方の傾聴すべきお話も備忘します(その2)。

明日から日本武道館を中心に子供たちと東京遠征です。
そのためには、作法と気遣いを忘れてはなりません。

以下は、FBで見かけたビートたけしさんの言葉です。
当たり前のようで、これがなかなかできません・・

【 作法と気遣い 】
 
作法というのは、
突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。
 
具体的な細かい作法をいくら知っていても、
本当の意味で、
他人を気遣う気持ちがなければ、
何の意味もない。
 
その反対に、
作法なんかよく知らなくても、
ちゃんと人を気遣うことができれば、
大きく作法を外すことはない。

駄目な奴は、
この気遣いがまったくできていない。
 
人の気持ちを考えて行動するという発想を、
最初から持っていないのだ。
 
他人への気遣いで大切なのは、
話を聞いてやることだ。
 
人間は歳を取ると、
どういうわけかこれが苦手になるらしい。
 
むしろ、
自分の自慢話ばかりしたがるようになる。
 
だけど、
自慢話は一文の得にもならないし、
その場の雰囲気を悪くする。
 
それよりも、
相手の話を聞く方がずっといい。
 
料理人に会ったら料理のこと、
運転手に会ったらクルマのこと、
坊さんに会ったら
あの世のことでも何でも、
知ったかぶりせずに、
素直な気持ちで聞いてみたらいい。
 
自慢話なんかしているより、
ずっと世界が広がるし、
何より場が楽しくなる。
 
例え知っていたとしても、
一応ちゃんと聞くのだ。
 
そうすれば、
専門家というものは、
きっとこちらの知らないことまで話してくれる。
 
井戸を掘っても、
誘い水をしないと水が湧いてこないように、
人との会話にも誘い水が必要なのだ。
 
〜 ビート たけし 〜

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2016年07月18日

子供たちに「正義」を教えることの大事2016

館長備忘録 セカンドシーズン(38)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
他の方の傾聴すべきお話も備忘します。

以下は、先日の「一日一善」との関わりで
心に残ったお話しです。

私の同僚に、アカサカ先生という優秀な方がおられるのですが
F.B.上で書かれた「正義」のお話が心に残ったので備忘させていただきます。
F.B.だとタイムラインで流れて行ってしまうもんね。

【正義の話】by 赤坂真二
「アンパンマンは、言わずと知れた正義の味方です。
今回は組織論から少し離れるかもしれませんが、
ちょっと正義の話をしたいと思います。
子ども向けアニメや時代劇などでは、勧善懲悪のストーリーで進められることが多いです。勧善懲悪のストーリーに触れたときに「すっきり」するのはなぜでしょう。

人は、本能的に正義を尊び、悪を嫌うからかもしれません。
また、われわれの生きる現実が勧善懲悪で表現できるような単純な構造ではなく、
そこに一種の不安定感を感じていて、
勧善懲悪という単純な構造に出会ったときに安心するのかもしれません。
例えば、すごく嫌みで自分勝手な振る舞いをするような上司や同僚にも、
愛する家族がいて、
その方を大事に思う人たちがいると思うと
一概にその方を悪人と決めつけることができなかったりします。
嫌なことをされて「この野郎!」と思っても、
その方の机上のパソコンのデスクトップに
生まれたばかりのお子さんの顔が表示されているのを見ると
振り上げた拳を下ろしてしまいます。

正義って一体何なのでしょうか?
正義は,主張する人の数だけ,存在するのかもしれません。
極端な話をすれば、戦争はみんな正義を背負っています。
大義名分があるから戦うことができるわけです。
正義は大事ですが、ときにはてとても恐ろしいものです。
でも、正義のない世の中に生きたいとは思いません。
だから、
未来をつくる人を育てる教師は正義を語れる人であり、
できたら正義の味方であってほしいと思います。
いじめ事件の報道で、頭を下げている教育関係者を見る度に
「学校に正義はないのか」「子どもに学校を預けていいのか」と
不安になった方々も少なくないだろうと思います。
学校は正義を貫く場であってほしいと思います。

しかし、一方で、
正義を振り回してもらっては困るのも本音です。
現実の社会では、
悪を標榜しているものは存在が許されないようにできています。
だから、みんな正義をもっています。世の中は正義で満ちあふれています。
すると、
それぞれの正義は違うのでぶつかり合います。
恐らく、
世間からバッシングを受けがちのいじめ報道における教育関係者の対応にも、
そこにはそれなりの正義があるわけです。
しかし、それが世間のそれとは違うことがあるのでバッシングの対象となる。

それぞれに存在する正義に折り合いはつかないのでしょうか。
もし、古今東西,正義に共通項があるとしたらそれは何なのでしょうか。
私が思うに、
それは『共存の実現』です。
人と人とが共に生きるにはどうしたらいいか,
それを示すものが正義である、ということです。
「生」は,
自分だけ在ろうとすると滅びるようにできているのでは,
と思います。
「生」にとって滅びることは,
美談になることはあっても,本来的に正義となり得ません。
(だからと言って美談に価値がないとは言いません。)
だから,より多くの「生」を存在させようとするとき、
そこに正義が成り立つのです。
正義の味方は、
アンパンマンから仮面ライダーに至るまで、
全て人助けをその仕事としています。

余談になりますが、
ヒーローと正義の味方は少し違います。
イチローをヒーローと呼ぶことはありますが、正義の味方とは呼ばないでしょう。
それは、
野球選手は人助け、「生」を助けるのが仕事ではないからです。
しかし、偉業によって人々を喜ばせ、元気にします。それがヒーローです。

しかし、問題は冒頭に言ったように、
正義がたくさんあることです。
対立したときに正義ほどやっかいなものはありません。
正義を主張すれば、それらが食い違ったときには
相手の主張を否定することになります。
正義は正しいから譲れません。
つまり正義が正義故に、正義の体をなさなくなるのです。

皮肉なものです。
では,どうやってこの多様な正義を整理し、
大きな正義を見つけ出していけばいいのでしょうか。

正義には教える正義と見つける正義があると思います。
大人は子どもに正義を教えなくてはいけません。
そして,
同時に正義を見つける方法を教え訓練しなくてはならないとも思います。
つまり、
話し合って互いの思いを確かめ互いの在り方に納得できる点を見つけることです。
学校がよりよい社会をつくることに寄与しようと思うなら,
その二つをやっていかねばならないだろうと思うのです。

アンパンマンの歌詞の仲でやなせさんがこう言っています。
「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」
「みんなのしあわせを守るため」には、相手の幸せに関心をもち、
自分と相手が幸せになるための行動をすること、
それが正義だと思います。」

以上、赤坂先生、ありがとうございました。
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2016年06月24日

答えは何処に2016

館長備忘録 セカンドシーズン(36)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
答えを見つけることも大事なのですが・・・

先日、新潟県の国体強化・警察剣道連盟合同稽古会にお邪魔した。
愛知から山崎8段も参加されており
久しぶりに稽古をお願いできた。
その時の礼式のご挨拶で

(皆、答えを知りたがるけれど)
「答えは自分の心の中に在る。」
山崎家の家訓 by 山崎正平範士8段

といったミニ講話がありました。

ふむ・・、と感じたので備忘します。
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2016年06月23日

相手がいるからこそ2016

館長備忘録 セカンドシーズン(35)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
「理合」を超えた姿の教えにも気づかなければなりません。

月刊「剣窓」平成28年7月号に寄稿されていた一文が
心に残ったので備忘します。

(前略)・・「相手がいるからこそ自分自身がいる」・・(中略)・・
どこの稽古会でも、その「道場の顔」と呼ばれる人がいるものです。
殆ど、指導的な立場の方が多いのですが、
必ずしも高段位者とは限りません。
私が所属する剣友会にも、
一昨年90歳で亡くなる直前まで、道場に週2回立ち続けた方がいました。
ご自分より段位が上の若手に対しても、
容赦なく稽古をつける姿は筋が通っていました。
外国人や女性たちからの人気も絶大でした。
さすがに晩年は杖が手放せませんでしたが、
稽古後には杖を忘れて帰ることもしばしば。
剣道を学びながら剣道に生かされているとはどういうことか。
言葉でなく、稽古場での姿で私たちに教えてくれました。
・・(中略)・・
剣道は、今後ますます各領域で国際的展開が予想されます。
同時に「日本の剣道とは何か」の問いかけもさらに鋭くなるでしょう。
試合や段位称号に関する批評はさておき、
「それぞれの存在を認め合う稽古とは何か」
を示すことが国際的展開には欠かせない視点になるのではないでしょうか。
「理合」を超えた姿の教え。
いわば、「生涯剣道」の中味がいま問われているのかもしれません。
・・(後略)・・
by 東京芸術大学教授 高橋亨先生(教士8段)
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2016年06月20日

言語化できない昨日との違い2016

館長備忘録 セカンドシーズン(34)
突き抜けることを祈念しています。

そのためにも

非日常として
道場に入って
着装を正して
構えの確認をして
素振りして

静座
向かい合って
技を試みて
行為を吟味して
繰り返して

静座して
体の痛みや偏りを確認して
道場を出る
日常に戻る

そんなことを毎日、毎年、
兀兀(こつこつ)・・・

そうすると
このような儀式的な行為の繰り返しの結果として
「ルーティン」化の結果として
昨日と条件が同じであったにも関わらず
「昨日との違い」みたいなものが身体化されて
言語化はできないけれど
「あっ、今!」というブレイクスルーがあるのだと思う。
posted by カン at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2016年04月20日

稽古ができる日常に感謝2016

館長備忘録 セカンドシーズン(22)
突き抜けることを祈念しています。

その前提として、
稽古ができる日常があることに感謝しなければなりません。

熊本地震にて被災されました皆様には、
心よりお見舞い申し上げます。
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2016年04月13日

身体性の軸2016

館長備忘録 セカンドシーズン(21)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには、身体性を豊かにしなければなりません。

良い言葉を聞いたので、備忘します。

「身体性の軸がぶれなければ、幸せに生きて行ける。」
by 小池龍之介
1978年生まれ。大阪府出身。東京大学教養学部卒。
月読寺・正現寺住職。
著書に『こだわらない練習』(小学館)、『平常心のレッスン』(朝日新書)など。

その通りだと思う・・
最後のところでぶれずに、そのままスパっと打てると、
幸せに剣道ができる かも。
posted by カン at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2016年03月23日

高田修道館の卒団式2016を行いました

館長備忘録 セカンドシーズン(17)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには、己に克たねばなりません。

高田修道館という道場ネームですが
スポーツ少年団での登録名は、高田剣道スポーツ少年団です。
昨夜、その少年団の卒団式を行いました。
記念の木刀、竹刀袋、寄せ書きなども贈りました。

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今年は、小学生6名、中学生6名が卒業です。
なかなかの戦績を残した子ども達でしたが
これからは、どんな中学生、高校生の生活を送るのでしょうか。
健やかに成長してほしいと願っています。
大人の階段を登るのだぞ・・

最近の剣道活動は、
子ども達も指導者も保護者も
試合での勝利に気持ちが向きがちなので
「相手に勝つ」ことを目標や評価の対象においてしまうことが多いのですが

我々が「相手に勝つ」前にしなければならないことは
「自分に勝つ」ということ。
日ごろの生活の中で「自分に負けている」者が
相手に勝ちたがってはいけません。
試合で負けたからといって、悔しがる資格もありません。
なので、目標は

「自分に克つ」 ということ

「勝」ではなく「克」

これ、剣道の本来の目標ではないかと思いまして
子供たちに贈る言葉として
昨夜は少しお話をしました。

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解ってくれたかな・・


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2016年03月11日

あれから5年2016

館長備忘録 セカンドシーズン(15)
突き抜けることを祈念しています。

あれから5年。
変わらなければならない
と心に刻んだあの頃から
俺、少しは変わったのかな・・
頑張ったのかな・・・

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東日本大震災の発生から5年を迎えました。
避難生活を送る人は、
いまなお17万人以上おられるそうです。

政府が決めた集中復興期間はこの3月末で終わりますが、
あまり復興が進んだようには感じられません。

震災の亡くなられた方は、全国で1万5894人、
行方不明者は2561人と発表されました(警察庁、3月10日)。

震災後の体調悪化や自殺による震災関連死は
3407人(復興庁まとめ、昨年9月末時点)。

プレハブ仮設住宅の独り暮らしでの「孤独死」は
202人(警察庁まとめ、昨年末時点)とされています

避難されている方は、17万4千人(震災発生直後47万人)。
被災地の人口流出も続き、
被害が大きかった3県の太平洋岸と避難指示区域の計42市町村では、
人口が震災前の2010年より約10万6千人減った(国勢調査速報値)
とされています。

まだまだです・・

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2016年03月07日

人生を丁寧に生きる2016

館長備忘録 セカンドシーズン(14)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
「人生を丁寧に生きる」

永年に亘り、高田修道館の門人の為にご指導・ご尽力いただいた
長谷川武二先生が平成28年3月2日にご逝去されました。
享年86歳であられました。

先生の葬儀に際し
導師の法話の中で出てきたお言葉です。

「人生を丁寧に生きる」「お大事に」

まさに長谷川先生のご生涯を表した言葉のように思えてなりませんでした。

1. 遺影長谷川先生_512.jpg
先生は、
雨の日も風の日も、
40年以上の永きに亘り、
子ども達のお相手を黙々としてくださいました。
この数年は体調を崩され、稽古からは遠ざかっておられましたが
私の大学での朝稽古会の初期からのメンバーでもあります。
高田修道館の子どもだけでなく、
大学生達も随分と稽古いただいた恩人でもあります。

お通夜では、
今の高校生から大学卒業生たちも多く参列してくれました。
ありがとう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

奥様より貴重な遺品についての撮影もお許しいただきました。
ご紹介します。
写真の中にあります大日本武徳会長 東條英機名による剣道証書は
剣道史においても歴史的価値のあるものです。

3.東條ひでき_512.jpg
「五等」というのは、現在の初段です。
長谷川先生が14歳の頃のものです。
第二次世界大戦が昭和14年(1929)から20年(1945)でしたから
昭和18年(1943)はまさに戦中となります。
学徒出陣が始まった年にあたります。
昭和18年3月に「大日本武徳会称号等級審査規程」が改正され、
段位が廃止され、五等から一等までの等位となったときのものです。
五等が初段で、一等が五段、
それ以上は、また錬士・達士・範士と改められていたそうです。

1.全日本剣道連盟有功賞_512.jpg
2.有功賞_512.jpg
平成25年には全日本剣道連盟の剣道有効賞も授与されました。

合掌。

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2015年12月31日

1000回目2015

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この写真、何かと言えば
劇団四季「ライオンキング」公演1000回記念の記念ダルマであります。

実は、
このブログを2008年1月に開設して
もうすぐ8年が経ちます。
そして、今日のブログで1000回目になります。
「館長備忘録」1000回記念として使わせていただきます。

8年前の1月22日、第1回目は
「どうしたものかと悩みながらも、
ブログ開設してしまいました。
気分が良いとき
落ち込んだときに
書き留めたいと思います。」
から始まっています。

そして2回目は
鬼一法眼の
「たれば即ち迎え、去れば即ち送り 対すれば即ち和す
五五の十 二八の十 一九の十 是を以て和すべし
虚実を察し 陰伏を識り 大は方所を絶し 細は微塵に入る
殺活機あり 変化時に応ず
事に臨んで 心を動かすことなかれ」
を紹介しています。

また、3回目は
鉄舟翁の
「無刀とは心の外に刀なしと云事にして、三界唯一心也。
一心は内外本来無一物なるが故に、
敵に対する時、前に敵なく、後に我なく、妙応無方、朕迹を留めず。
是、余が無刀流と称する訳なり」
を紹介しています。

多分、
当時の自分に必要だと思っていたものを備忘したのでしょう。
そして、このように1000回も色々なことを備忘した割には
未だに、な〜んにも超えていない自分に反省です・・・

ただし、解っていることがあります。
このように色々と書き留めることで
追体験が可能になります。
時折、読み返すことで
追体験を繰り返すこともできます。
そして、それによって、
自分の心境の変化を感じることもできるようになります。
何かを超えていく過程において
これはとても大切なことだと思っています。

もし、超えることができたら
超えた先に訪れる心境について
私の恩師は
「山々雲」
という教えを門下生に伝えてくれました。

このようなことに関して
最近では
「ブレイクスルー」
という言葉が使われます。
英語の「break through」は
「突破(口)、打開(策)、解明、進歩、躍進、切り抜ける」
などと訳されますが
ある識者は
「突き抜ける」としています。

1000回を節目として
また、「突き抜ける」ことを祈念して
次回から
館長備忘録はセカンドシーズンに入ろうと思います。

皆様、良いお年をお迎えください。
新年もよろしくお願い申し上げます。

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年末は神戸で過ごしています。快晴です。

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私が剣道を習った道場の跡地、今は公園です。
私の実家から徒歩10分です。

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パンダもいる大きな動物園です。
道場はこの王子動物園に隣接した裏地にありました。







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2015年11月25日

酸いも甘いも人生いろいろ2015

11月に入ってからは剣道のことばかりが
頭の真ん中にある。
というより頭から離れない・・
審査が近づくにつれて起きるいつもの現象なんですけど、
困ったもんです。
そんな昨日、

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研究室の本棚の剣道コーナーを眺めていたら
懐かしい剣道入門書に目がとまった。

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これ
私が小学生の時にお小遣いで買った人生初の剣道本
1970年発行、240円也・・・

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著者は、故、湯野範士、剣道界では著名です。

ページをめくっていたら・・

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どっかでみたような兄ちゃんが竹刀をブン廻しています???

このカンフースターのブルース・リーに似た兄ちゃんは
サクド〜範士の若き日の姿なのでした!!!!

今、数十年の時を経て、
このような方と今のようなご縁を持てているとは
人生いろいろです。

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そのサクド〜師より先日お葉書をいただいた・・・
そこには、
「関東、関西を拝見しながら、
若者の剣道が大変変化していることを実感します。
サッカーの素早い球廻しのような
構え崩れの攻防ばかりが目につきます。
構えと間合いの実を深めての一撃の醍醐味こそが大事であることを
念じている日々です。(−中略ー)
どうか良き立会いを祈ります。」
とありました。

う〜む・・・
さぁ、東京審査、行ってくるか。
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2015年10月21日

選手と審判の一瞬の心の創造2015

月刊「剣窓」410, 6, 2015 に載っていました。
非常に味わい深く、興味ある内容だったので
別タイトルをつけて、以下に紹介させていただきます。

このブログでのタイトルは
「選手と審判の一瞬の心の創造2015」
とさせていただきます。

(前略)・・・筆者の疑問となっていた「心を打つ一本とは何か」
あるいは「心力」とはどうやって強めるのか、を考えてきた。
だが、この1年間でまったく予想もしていなかった言葉に出会って、
疑問はますます分からなくなっていた。
それは「人間は脳で考えることはできても、心は脳の中には存在しない。
心は自分の脳と他者の脳の間にある、ないしは間で作られる」
(ロボット工学・石黒浩)
というものである。
いま最も先端的な発言で、ロボットに考えさせることは可能でも、
心を創造することは不可能だと言い表している。
・・(中略)・・
実力伯仲した著名な剣道専門家同士の技量・体力は
筆者や観衆らには想像もつかないが、
試合内容そのものと戦っているのは、実は審判である。
審判の脳と試合者の脳の間に心が作られないと、一本の判定が表現されない。
K選手の出ばな面とM選手の左胴に旗が揃ったのは、
長い葛藤の果ての5者による一瞬の心の創造であろう。
・・(中略)・・
年齢、段位によって、
それぞれ「無心」の試合や立会いを続け、
そして日頃の稽古を重ねることによって、
「心とはなにか」を問う状況を昇華し、
一方で
「守破離」の言葉を念仏のように唱えて、
そのうち
「心とは脳と脳の間にある」
というようなロボット工学者が導いた言葉に行きついて、
結局わけがわからなくなる。
剣道は生身の人間同士で
果てしなくどこまでもやるべきことを
K大会での試合内容、主管連盟の配慮有る運営ぶりから教えていただいた。
(鴨志田恵一 剣窓編集委員)
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2015年09月11日

私のようなオッサンの反省2015

なるほどなぁ・・と思ったので備忘します。
そこいらにいる中学生レベルの言動を行ってきた私のようなオッサンには
耳の痛い話でした。

「知的」ということについてです。

この人は「知的」だな、とか「知性的」だなって判断するとき
どんなモノサシが使われているのかというお話です。

例えば学歴や職業や言動といったものがモノサシになっている場合もありますが、
ある方はこのように話したそうです。

「少なくとも私が(「知的」を)判断をするときは、五つの態度を見ています」
ということです。

一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、
そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。
また、それについて学ぼうする。
そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。
その結果、それを隠し学ばない

三つ目は、人に物を教えるときの態度
知的な人は、
教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。
そうでない人は、
教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

四つ目は、知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。
そうでない人は、
「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、
役に立たない知識を蔑視する

五つ目は、人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。
そうでない人は、
「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。

知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、
という話ではなく、
自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、
大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

とありました。(http://blog.tinect.jp/?p=16095

この記述は、主に「仕事」や「働き方」を啓蒙するために書かれたブログで
そのことを考慮しても
私のような立場のオッサンには
大切な心がけになるのではと感じました。

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2015年09月09日

高田修道館の指導方針について2015

今から11年前に、高田修道館の指導方針について
保護者会へ文書で周知したことがあった。

あれから10年も経つと
保護者は全て(?)入れ替わり
過去の暗黙の了解や色々な申し送りもあいまいになってきたようだ。

そんなことも感じているので
その当時の文書をここに備忘することにします。

このブログの読者で
高田修道館以外の人にとっては別に面白くもないので
読まなくていいよ。
長いしね・・

では


高田修道館 保護者様 各位
「指導方針について思うこと」平成16年6月 館長

子ども達の剣道を始めた動機は様々でしょうが、
多くの保護者の方は、
お子さん達の心身の
健やかな発育を願って剣道を勧められたことと推察いたします。
同様に、高田修道館でも
お子さん達が剣道を通じて
強い心と健康な体が鍛えられることを願っています。
近年の学校教育では、
子ども達を「鍛える」という視点に対して消極的な傾向がみられることから、
一層このような思いを強くします。

一方、
剣道がある程度上手になってくると、
お子さんの中に試合に出場したいという希望も芽生え、
試合がある以上、
指導部としては
普段の努力の結果としての勝利を経験させたいのも事実です。
試合において「勝つ」ためには
試合ルールの理解や試合のための戦術を学ぶことも必要になります。
子ども達の心身を律する修養としての剣道と、
スポーツ活動としての剣道。
ここに指導部の少年剣道の指導におけるつらい現実があります。
また、お子さん達には個人差が大きいこと
(体の大きさ、紐を結ぶといった器用さ、話を理解する能力、親離れの程度)
剣道を始めた動機が様々であること、
一斉指導の中で剣道を学習していくためには
社会性や協調性がある程度必要であることから、
それらが道場の中で育つまで我慢強く待つ必要もあります。
これは、子ども達、保護者、指導部の我慢比べです。

今までに剣道を辞めてしまったお子さんでは、
子ども同士、親同士、指導部とのコミュニケーションが上手くいかなかった場合、
他のお子さんと比べて上達に時間がかかり本人や保護者が辛くなった場合、
試合にいつも負ける場合、
選手に選ばれる可能性がないと子どもや保護者が考えた場合
が記憶にあります。
しかし、大切なことは(子どもも保護者も)、
共通の目的を持って集まった仲間と仲良くする
正しい礼儀作法(といった社会性)、
大きな声(自己解放、ストレス発散)、
休まない・逃げない(克己心)、
学校の宿題を済ませてから道場にくる(責任)
といったことになります。
入門時の初心を忘れないよう、ご家庭でもご協力をお願いします。
しかし、高田修道館はスタッフ協力者が豊富であり、
県内でも恵まれた指導環境であることから、
現在では段階的な指導方針でなんとかこれらの悩みを解決出来ないかと考えています。

「指導方針」
1.「礼」・「正座」・「黙想」
剣道は竹刀で相手を叩くという行為であるために、
特に思いやりの心と礼儀を重んじなければなりません。
そのため、剣道の入門時に最初に習うことが、
道場やお互いの「礼」、
相手と正しく向かい合うための「正座」、
心を新たにするための「黙想」なのです。
2.入門初期あるいは、低学年から中学年にかけて
道場に来る習慣(稽古が出来ないときは見学する)をつけることです。
技術的には
「剣道みたいなこと」
のレベルでよいのです。
礼法、足さばき、基本の面打ちと切り返しが中心になります。
3.中学年あるいは経験年数3年程度
この段階になると道場へ行くことが習慣的になってきますが、
前述した、
上達に時間がかかり本人や保護者が辛くなる場合(他のお子さんと比べる)、
試合にいつも負けることが子どもや保護者に受け入れられない場合、
選手に選ばれる可能性がないと考えた場合などが弊害になってきます。
ここを乗り越えて欲しいと願っています。
道場における「楽しさ」について指導部ももっと工夫する必要を感じています。
ちなみに、私の場合(小学校4年当時)、稽古は旧態依然で辛くて嫌いだったけど、
師範の先生のことが大好きで先生に褒めて欲しくて道場に行きました。
小学校にもそんな先生が増えると不登校が減るかもしれませんね。
剣道を辞めるお子さんがいるたびに、自己責任を感じます。
この年齢では技術的には、連続技、応じ技の習得を目指します。
また、中学年で入門した場合は、
上達の程度に応じて、中学年レベルの技術段階に早く進めるよう配慮します。
4.高学年
ここまで続けば、へっちゃらです。
体の大小に関わらず、学校の中でも逞しい部類でしょう。
しかし、剣道が上手になった分、
友達と仲良くすること、年下の面倒を見ることを改めて教える必要があります。
今の6年生にはそろそろ厳しく指導しなければいけないと考えています。
技術的には、
応用技(互角稽古の技能)、稽古の結果としての試合が課題になります。
5.その他
現在の稽古時間は休息を含めて1時間半、
居残り稽古を含めると2時間のお子さんもいます。
かつては1時間の稽古でしたが、
物足りないのか居残り稽古を希望する子どもが多く、
2年前に1時間半に延長いたしました。
初心者の方には大変かもしれませんが(すぐ慣れます)、頑張って下さい。
高学年はさらに居残り稽古をしなければ満足しないのか、
辞めさせなければいつまでも稽古しています。
きっと、家に帰って勉強するよりよいのでしょう。

色々書きましたが、
最終的には
道場の中での立ち振る舞いや礼、挨拶「御願いします、ありがとうございました」が
家庭や学校生活でも出来るようになること、規律正しい生活が出来ることが最終目標です
(これが試合に勝つよりも難しい)。
お子さん達のため、家庭の応援とご協力をお願いします。

以上

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。


posted by カン at 10:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2015年08月26日

壺の中の大きな石2015

良いお話をFBで見かけたので、備忘させていただきます。
このようなお話を道場での講話でもできるようになりたいものです。

ある大学で、こんな授業があったという。
「さあ、クイズの時間だ。」
教授はそう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。
壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。
そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振すりながら、石と石の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったのか?」
学生は声を揃えて、「いいえ」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのか、わかるだろうか?」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、
最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです。」
「それは違う。」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。
この例が私達に示してくれる真実は、
大きな石を先に入れない限り、
それが入る余地は、その後二度と無いという事なんだ。」
君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、
と教授は話し始める。
「それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家庭であったり、自分の夢であったり。」
「ここで言う“大きな石”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。
もし君たちが小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、
君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。」
「そして大きな石、
つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果それ自体失うだろう。」
http://dream-maker37.sakura.ne.jp/wp/?p=336
posted by カン at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2015年02月27日

意味が判らないけど面白い2015

吉本芸人の新人さんの
「ラッスンゴレライ」というリズムネタが流行っている。
「そのリズムが頭から離れない」と話題になっているらしい。
意味が判らないけど面白い」ということらしい。

こんな調子、
「ラッスンゴレライ!フー!
ラッスンゴレライ!フー!
ラッスンゴレライ説明してね」
というような前振りでリズムに乗ったお笑いが関西弁で始められる。

この、「意味が判らないけど面白い」という場面は
剣道でもみられる。
先日、
大学院の「運動方法学演習(武道)」という授業で剣道を教えていた。
受講者は13名。
授業の最終回だったので、
防具を着装して互角稽古を大学院生達に許可した。
このような授業での互角稽古で起きる特徴的な現象なのだが
打っても、打たれても
男女入り乱れて
ワーワー、キャッキャ、ワハハと笑い声が絶えないのだ。
部活や道場修練の場ではありえない楽しみ方がみられる。
その中には、
大学生時代に全日本学生剣道選手権で3位になったこともあるキクチも
一緒になってワイワイ楽しんでいた。

剣道の行動様式、所作など
まったく、関係なし・・・・

でも、なかなか良かった・・・・・
武道教育に期待される「相手を思いやる心(残心)」が見取れたから。

この時の歓声は
「あっち向いてホイ」で遊んだ時に起きる笑い声とも似ていた。
きっと、打った側も打たれた側も
その意味を感じ取る必要がない授業中の遊びと捉えているから面白いのだろう。
このような剣道授業中の笑いや面白さは
掘り下げれば十分に授業研究の対象になるなぁ
と感じながら眺めていた。

言語学者の金田一 秀穂さんによると

意味の中に我々は暮らしている
その意味からは逃れることはできない。
だからこそ、
意味のないものに関心を持ち、興味をひかれるのだろう


ということらしい。
(2015.1.27.早朝番組「グッドモーニング」より)

「ラッスンゴレライ」
posted by カン at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2015年02月03日

正しいと思うことをどのように伝えるか2015

1月20日以降、
なんとも言えない沈痛な気持ちで報道に注意をはらっていたが
とても無念な結果になった。

理念的に正しいと思うことを
どのように伝えるか。

情に流されずに
どのように伝えるか。

「情」と「義」をふまえて
伝えることができるか。
ということは
とても難しい作業です。

法政大学教授で
元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクターの
水島 宏明さんは
「大きな事態に、
大事だと思うことを、適切な言葉を選んで
視聴者の心に届くように話すということは
簡単にみえて、実際にはとても難しい作業だ。
番組の限界や局の限界もある。」
とされています。

そのような中で
NHKの「あさイチ」で解説委員をつとめる柳澤秀夫さんが
番組の冒頭でこのように述べられたそうです。
番組時間内の許容範囲や
局やご自分の立ち位置から許される範囲で語られた
1分程度の言葉です。
以下に残させていただきます。

「冒頭なんですけど、すみません。
昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、
ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ・・・。

僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、
一番、いま、強く思っていることは、
ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、
あるいは日本人をどうやって守ればいいか、
が声高に議論され始めているんだけど、
ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、
後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。

戦争になったり、紛争が起きると
弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、
彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。

それを考えることが、ある意味で言うと、
こういった事件を今後、
繰り返さないための糸口が見えるかもしれない・・・。

われわれ一人ひとりにできることというのは
ものすごい限界があるんですけど、
この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。

それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。
そう思ったものですから、
冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。」
http://www.huffingtonpost.jp/hiroaki-mizushima/isil_b_6591406.htmlより)
この柳澤秀夫氏さんは
1990年から91年にかけての湾岸戦争当時、
数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残って、
レポートを繰り返した方らしい。

我々一人ひとりにできることには
限界があるのですが
「I AM KENJI」
KENJIのことは他人ごとではなく自分のことなのだ。
命をかけて伝えてきたことを広げなくてはならない。
というメッセージを
忘れずに大切にすることはできると思いました。
posted by カン at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉