2015年01月22日

人間は誰でも2015

ここまでは悟れていないのですが
覚えておきたい言葉として備忘させてください。

「人間は誰でも
自分が一番大切なのです。
そして、そのことを
本当に自覚した人間だけが
自然なかたちで
他人を
大切に思うことができるのです。」
(作家、五木寛之)
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2015年01月19日

20年目の朝2015

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(http://gigazine.net/news/20150117-hanshin-awaji-earthquake-photo/より)
先日の17日で、阪神・淡路大震災から20年が経ちました。


昨日、一昨日は、大学入試センター試験の業務だったのですが
例年は寒稽古期間中なので、
地震のあった午前5時46分は身支度中の時間にあたります。

20年前、
研究室で着替えながら何気なく点けたテレビのニュースで
故郷の神戸の街の被災が特報されており
その惨状に愕然としたことが
昨日のように思い出されます。
(幸い、家族、親族は無事でした)

朝稽古の習慣で、一昨日も5時には目が覚めたので
その時間に御線香に火をつけて、想いました。

今朝のニュースによると
現在の神戸市民(約150万人)の40%は震災の後に生まれたか、
市外からの転入者であるということです。
あの震災も、語り継がれなければいけない時代に入ったということでしょうか・・・
あの時の出来事の記憶、決して忘れてはならないと思うので
毎年、このブログに記しています。

同様な想いが多くの方にもあるのでしょう。
知人のF.B.やブログでも関連したコメントが散見されました。

そんな中で、以下のような記載が目にとまりました。
きっと、大切な方を突然亡くされたのだと思います。

「大切にしたい人がいるなら
大切にできる間に大切にした方がいい

仲良くしたい人がいるなら
仲良く出来る間に
仲良くしておいた方がいい

人間なんて
本当にふとしたきっかけで
二度と会えなくなったりしてしまうものだから
驚くほど簡単に
どこかへ行ってしまったりするものだから」
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2015年01月14日

読書百遍義自ずから2015

道場の今年の寒稽古始めから
礼式の時に、団旗を正面に掲揚して「正面への礼」と
「剣道訓」の唱和を行なうことにしました。

道場の礼式で、今までそんなこともやってなかったのか
と、あきれられるかもしれませんが
まぁとにかく
高田修道館の礼式に加えました。

剣道訓は、
私の出身道場の剣道訓を使わせていただきました。
超有名なコレです。

「剣は心なり 心正しからざれば 剣また正しからず 
剣を学ばんとするものは まず心を学べ」

出典:島田 虎之助(しまだ とらのすけ)江戸時代後期の剣道家。
流派は直心影流(じきしんかげりゅう)。
「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣また正しからず。
すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学ぶべし」

子ども達の年間の定期稽古は約100回以上。
小学校6年間で600回、中学3年間で300回
計900回以上も定期的に唱和すれば
頭に刷り込まれて、一生忘れないだろうと期待します。
そして
「読書百遍義自ずから見る」
を期待しています。

「心」の意味するところの理解が
子ども達への宿題です。
(大人にも かな・・)

これは、先日書いた、
「色々な人生の教訓と言うものは
その人の人生の経験智(知)がそれに達していないと
本当には理解できないものだと思います。
剣道で与えられる指導や助言も
その人の稽古が足りないと
あるいは、稽古がそこまで進んでいないと
感じ取れないものだと思います。」にも通じます。

ちなみに
「読書百遍義自ずから見る」は、
「どくしょひゃっぺん ぎ おのずから あらわる」と読みます。

「見る」は「みる」と読まずに「あらわる」と読むそうです。
この「見る」を「現れる」と書くも誤りになるそうです。

また、
義→意
見る→通ず
とすると
「読書百遍、意(い)自(おの)ずから通ず」
というのもあります。

意味はご存知の通り
「どんなに難しい書物であっても、
繰り返し読むうちに意味が自然とわかるようになるものだ」ということ。
(乱読を戒める意味もあるようです)
または、
「自分のことは自分で頑張れ」という意味でも使われるそうです。
出典:『三国志』魏志−董遇・裴松之注

「読書百遍義自ずから見る」2015・・・
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2015年01月09日

基礎訓練における精度を上げる2015

色々な人生の教訓と言うものは
その人の人生の経験智がそれに達していないと
本当には理解できないものだと思います。

剣道で与えられる指導や助言も
その人の稽古が足りないと
あるいは、稽古がそこまで進んでいないと
感じ取れないものだと思います。

でも、備忘しておきます。

「基礎訓練における精度を上げる。」
(マイケル チャン, 錦織 圭選手のコーチ)

コーチとの出会いと助言、
その結果は、昨年の彼の結果が示すところです。

技の精度が上がると
余興としてこんなこともできるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=PUApZnHmio0
カップ麺のCM

錦織 圭(にしこり けい、1989年生 )
島根県松江市出身の男子プロテニス選手。
日清食品所属。身長178cm、体重74kg。
右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

マイケル・ターペイ・チャン(Michael Te-Pei Chang, 中国語名 張コ培, 1972年生)
アメリカ・ニュージャージー州ホーボーケン出身の元男子プロテニス選手。
右利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。
シングルス自己最高ランキングは2位。グランドスラム優勝1回、準優勝3回
男子シングルスグランドスラム最年少優勝記録保持者(17歳3ヶ月)。
現在、錦織圭のコーチを務めている。

錦織選手の益々の活躍を祈念しています。
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2014年12月09日

トイレ掃除の話2014

ネット上で知った話なのですが
昭和36(1961)年にイエローハットを創業された鍵山秀三郎さんは、
28歳のときに社内のトイレ掃除を独りで始められたそうです。
以来、トイレ掃除の活動を53年間も継続されているということですが、
このことにまつわるお話が
とても興味深かく、また、考えるところもあったので備忘させてください。
少し長いよ。

──きっかけは何だったのですか。
 鍵山:いろいろな理由がありますが、大きな理由としては、
ちょうど高度成長期に差しかかった頃で、社員の心が荒れていたんですね。
カネを稼げばいい、今さえよければいい、自分だけよければいい、
という風潮に世の中全体が急速に変わってきた。
創業間もない会社だったため、採用面接に応募してくるのは、
履歴書に書き切れないぐらいたくさんの会社を渡り歩いてきた方が多く、
心がすさみきっていたというのもあります。
こうした社員の心を穏やかにするためには、
まず職場環境をきれいにすることが大事だと思いました。
汚い環境の中で、彼らに「ちゃんとしろ」と言ったってできるわけがない。
まず私が環境をきれいにしてから、伝えるべきことを伝えていこう、と。
その第1番がトイレ掃除であり、社屋の掃除でした。
社屋といってもバラックでしたけども(笑)。
まず社内を掃除して、やがて近隣周辺、
取引先のお店の周囲やトイレ掃除をさせていただくようになりました。
本当は社員にもやってもらいたかったけれど、
誰もやりたがらないでしょうから独りで始めました。

──命令はしなかったのですね。
 鍵山:命令したってやるもんじゃないですよ。
また命令されてやることは、絶対に本物にならない。
規則で決めたり、当番制にしたりしてもダメ。
心からそうしようと思わないと身に付きません。

──社員の方々の反応は?
 「掃除なんかしても無駄だ」「うちの社長は掃除しかできない」と
陰で批判する者もいましたし、
私がトイレ掃除をしている横で用を足していく者もいました。
最初の10年間は私独りで掃除をしていて、
手伝おうという社員は1人もいませんでした。

──よく続けられましたね。
 鍵山:哲学者のショーペン・ハウエルがこう言っています。
物事が成功するまでには3段階ある。
第1段階は「嘲笑される」。なんだ、トイレ掃除なんかして、と。これが始まり。
第2段階は「反対される」。誰もやれと言っていないのに抵抗するのです。
その段階でバカバカしくなり、やめてしまう。
こんなことやったってしょうがないという気持ちになる。
でも、そこを乗り越えると、
第3段階は、笑いものにしたり、反対したりしていた人が
いつの間にか「同調する」。
そんなこと、とっくにわかっているよ、と。
そうして初めて物事は成功するとショーペン・ハウエルは言っています。

──社員の方々がトイレ掃除をするようになったのですか。
 鍵山:はい。10年を過ぎた頃から、
社員が1人、2人と手伝うようになりました。
ただし、今日やったと思ったら明日はもうやらないという感じで波はあります。
それがだんだんと浸透していって、
20年を過ぎた頃には、大方の社員が掃除をやるようになった。
社内だけでなく、近所の道路など広い範囲で掃除するようになりました。

──掃除が社内に根付いていって、ビジネスの面で何か効果はありましたか。
 鍵山:お客様からの信頼が絶大になりました。
よその会社の社員とは全然違うというふうに、お客様が見るようになった。
たとえば、うちが商品をお客様に納める際に、
普通は商品と伝票に記載された数が合っているかをお客様がチェックするのですが
うちはノーチェックです。
うちの社員はごまかしたりしないという信頼があるからです。
みんなが掃除をやるようになってからは、
外部の会社から「掃除の仕方を教えてほしい」と依頼が来るようになりました。
最初は中小零細企業が多かったのですが、
だんだん1部上場会社の社長が幹部社員を連れて来るようになった。
──社員教育として掃除を導入しようと?
 鍵山:そうです。もう何をやってもうまくいかなくて、
人づてに掃除がいいそうだと聞いて、半信半疑でやってくる。
ある会社の社長は、
会社をよくするためにいろいろな研修に行っては、
次々と会社に導入したけれども、どれも成功しなかった。
でも、その掃除を始めたら成功した。
この掃除活動は、自分の意志でやり始めると、がぜん、心が変わるんですね。

──どういうふうに変わるのですか。
 鍵山:掃除の効用は大きく5つあります。
ひとつ目は「謙虚な人になれる」。
私はこれまで何万人も掃除をする人を見てきましたが、
掃除をやっていたら傲慢になったなんて人はひとりもいません。
例外なく謙虚になります。謙虚になると、
自分が接している周囲の人たちの対応が変わってきます。
2つ目は「気づく人になれる」。
ぱっと見て、この便器はきれいだなと思っても、
いざ便器に取り組んでみると、ここも汚れている、あそこも汚れていると、
いろいろな汚れに気づきます。すると、
今までは床にゴミが落ちていても平気だったのが、
気になるようになってくる。
これまでは見えなかった細部がよく見えるようになります。
3つ目は「感動の心を育む」。
自分でトイレ掃除をすると、きれいになったなあと実感します。
この実感が感動なのです。
よくコンサートに行ったり、お坊さんの話を聞いたりして
「感動した」と言いますが、
あれは感動しているのではなく、興奮しているだけです。
感動と興奮は違う。
興奮はすぐ冷めます。
お坊さんの話を聞いた帰り道で、もう人を押しのけている。
そういうのを感動とは言いません。

──トイレ掃除の感動は持続するのでしょうか。
 鍵山:感動しやすくなって、
些細なことにもありがたいと思うようになるのです。
たとえば、人がエレベーターのドアを開けて待ってくれていたといったことにも、
ありがたいと感じるようになる。
4つ目は「感謝の心が芽生える」。
感動と感謝は一緒です。感動しない人は感謝しません。
5つ目は「心を磨く」。
心を外に出して磨くことができればいいですが、できないでしょう。
だったら磨けるものを磨く。
間接的に自分の心を磨くことになります。
トイレというのは1日に何回も見るものですから、
それがきれいだと、見ている自分の心もきれいになっていきます。
つまり、いつもゴミだらけの汚い環境にいる人は、心の中も同じ状態ということです。

以下は略します、なかなか凄まじい実践例も紹介されていますので
興味ある方は読んでみて下さい。
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/

最後に、

 鍵山:朝、公園の掃除をしているときに、マラソンをしている人が通っていきます。はぁ、はぁ、と息を切らして熱心ですが、それは自分のことだけに熱心とも言えます。熱心な人であっても、立派な人とは言えない。もしその人が、マラソンもするけど落ちているゴミも拾ったら、立派な人になるのです。

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2014年10月29日

剣道「断・捨・離」2014

ひと頃、「断捨離(だんしゃり)」という言葉が流行りました。

ウィキペディアによると
不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと
ということです。

これは、ヨガの行法、
「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」
という考え方を応用して、
人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、
モノへの執着から解放され、
身軽で快適な人生を手に入れようという考え方で
単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くということです。
(ウィキの原文ママ)

断:入ってくる不要なものを断つ
捨:ずっとある不要なものを捨てる
離:そのものへの執着から離れる

中々味わい深いものがあります。

自分が剣道を続ける過程で身に付けてきた
色々な剣道の技や考え方も
断捨離することで
自分の剣道のコンセプトやこれからの指針が明確になるのかもしれません。

などということを
今朝の朝稽古で参加者の稽古を見学しながら
ふと、思いつきました。

剣道「断・捨・離」
いかがでしょうか・・・
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2014年09月10日

自分に厳しくではつらすぎる

私の携帯電話はガラケ〜と呼ばれているタイプで
スマホは持っていない。
多くの人がやってるらしいラインからも蚊帳の外。
フェイスブックもPC上で眺めるだけ。

そのフェイスブックのホーム上に
何故だか知らんけど
毎日、色々な格言・教訓、面白話が乗っかってくる。
中には心に残るエピソードも紹介されたりで
感慨深い心境になる時もある。

以下は、その中のひとつです。

「私の思考」というテーマでした。
10か条
1.苦手な人と向き合うときは最初から、あまり期待しない

全員とうまくやっていける人なんか、いるわけがない

2.そこまで他人の目を気にする必要はない

人はあなたが思うほど、他人のことなど気にしていない

3.友達はたくさんいるほうがよいという幻想から卒業する 

知り合いの数が人間関係のスキルを物語るわけではない

4.みんなと同じように振る舞うことにとらわれすぎていないか

だからといって、奇をてらうのではなく信念を持つことが大事

5.逃げのウソをつくと、疲れるだけ

ありのままの自分でいるほうが、ゆとりある対応ができる

6.ひとりで過ごす贅沢な時間を味わう

大切な答えは、ひとりの時間に見つかることが多い

7.ひとりでいられないのは、心のどこかに不安があるから

ひとりでは心細い、と思うから心細くなる

8.重い、面倒な人間関係を、避けすぎていないか

軽さ、楽しさだけを求めていてはいい人間関係はつくれない

9.つねにポジティブ、ポジティブと自分にプレッシャーをかけていないか

がんばれ、より、ドンマイのほうが心に染みるときがある

10.自分のいいところだけ数えあげ思い切り甘い点をつけてあげよう

世の中は十分厳しい。そのうえ自分には、厳しくではつらすぎる


確かに、
「自分に厳しく」では辛すぎるときがあるなぁ・・・
その他にも、いくつか印象的でした。
ドンマイ。
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2014年07月17日

時代の変革期として考えておきたいこと2014(その2)

終戦は1945年ですから、現在68年目。
来月8月15日を越えると戦後69年目になります。
戦争体験者も少なくなり、
日本の戦争は語り継がれる時代になったということです。
特に、家族に戦争体験者がいないような若い人たちには
戦争は現実的なイメージがしにくいものになっていると思います。

しかし、戦争を体験した私の親のような世代は、
今回の事をどのように考えているのでしょうか。

今から7〜8年前、
第1次安倍内閣の頃、
(2006年9月26日から2007年8月27日まで)
私の父親が以下のような文章を記しました。
私のパソコン内資料に残っていたものです。
今、読み返しても
大切な意見に思えるので備忘します。
(今回のテーマに沿うように再構成しましたので、
原文と若干違っています)

「私達は、天皇の国家、教育勅語、戦争の日々、
それらのすべてを、教師も、親も、そして子どもも、
当たり前のこととして受け入れてきた時代に育っている。
そして、そのような国を清算するために、
それ以降の戦後があったと思う。
この国を現在動かしている総理大臣(1954年生)を含め、
若手政治家、官僚は、
現憲法と戦後の教育基本法のもとに育った人達だ。
戦後教育の恩恵を受けて育った世代である。
だからこそ、
この60年間、戦争で死んだ日本人がただの一人もいなかったこと、
誰ひとり兵役の義務を強制されることもなく、
予期しない国の強制で個人の運命が狂わされることもなかったことを
意識すべきではないだろうか。
国を愛するとはどういうことか、
どのような国を愛するのか、
国というものと、そこに住む民衆とはどちらが主体であるべきなのか。
この社会の主たる構成員である私たちには、
その家族や子どもたちのために、
今現在、どのような抵抗と選択が求められているのだろうか。
自明のことのように思えるのだが・・・(ヒロミチ ジキハラ)」
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2014年07月15日

時代の変革期として考えておきたいこと2014

時代の変革期には
皆で考えておかなければならない事柄があると思います。
次世代の子供たちのために・・

政府は7月1日に臨時閣議を開き、
憲法9条の解釈を変更して
「集団的自衛権」の行使を容認すると決めました。

「集団的自衛権」というのは、
歴代内閣では
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力を持って阻止する権利」
と定義されてきました。
さらに、歴代内閣は、
他国を守る集団的自衛権による武力行使については
「自衛のための必要最小限度の範囲を超えるため、憲法上許されない」
としてきましたが、
現内閣は憲法9条の解釈を変更して
この行使を容認するというのです。

つまり、
日本が攻撃を受けていなくても、
他国同士の戦争に参加し、
日本と密接な関係にある一方の国を防衛するための
武力行使を容認するということです。

他国からみれば、
日本の軍国主義が復活?
と思われても仕方ありません。

でも、上記のような私の記述は
新聞やテレビの受け売りで・・・
私は憲法をきちんと読んだことがなかったので
色々な議論に加わることができなかったし、

子どもたちや学生に質問されても
適切に回答する自信もありません。

不勉強だった私は
まず、日本国憲法を正確に読んでみることにしました。
関心のある方はお付き合いください。

日本国憲法は、
・前文
・第1章 天皇
・第2章 戦争の放棄
・第3章 国民の権利及び義務
・第4章 国会
・第5章 内閣
・第6章 司法
・第7章 財政
・第8章 地方自治
・第9章 改正
・第10章 最高法規
・第11章 補足
から成り、全部で条文は103条ありました。

この中でも第9条は
第2章「戦争の放棄」の章にあり、
この9条の条文だけで憲法の第2章(章名「戦争の放棄」)が占められています。
(憲法の「前文」とともに平和主義が規定された部分です。)

具体的には、
「日本国民は、
正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する


前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない
国の交戦権は、これを認めない。」

とされています。

すなわち、
一般的にもよく知られている「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」
の3つの規範が示されています。

日本国憲法が「平和憲法」と呼ばれてきたのは、
この第9条と憲法「前文」の記述があってのことといえます。

この9条「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の宣言を
「昔と事情が変わっているのだから
場合によっては他国間の戦争に参加してもいいんだ」
と解釈を変えるというのです・・・

このような解釈の変更が
日本や世界平和のために本当に有効に働くかどうかの判断は
各人の立場により異なるのでしょうが
少なくとも、
私の感情としては
私の教え子たちに戦争に行ってほしくないし
兵士になって命を失うこと
ひとの命を奪うことなど
絶対にあってはならないと
心から切望します。

「前文」も以下に示します。
少し長いので、
お時間があったら、読んでみてください。

「日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

以上のこと、
この時代の変革期において
皆で考えておかなければならないことだと思っています。
主権は国民にあります・・・

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2014年06月30日

自身の品位や人間性を損なわずに批判するということの難しさ2014

自分自身の品位や人間性を損なわずに批判するということの難しさについて
以下を読んで感じ入るところがあったので
以下にコピペして備忘させていただきます。
出典は、
http://anond.hatelabo.jp/20140624211919?fb_action_ids=684712878275283&fb_action_types=og.likes

「某女子大のとある講義では、
初老の女性講師が最初の5分か10分ほど世間話をするのが慣例になっている。
落語でいう所の「マクラ」みたいなものだろう。
殆どが時事ネタなのだが、
やはりというか、その日は例の野次の件だった。

東京都議会のある議員が、
女性議員に野次を飛ばして問題になっています。
その内容は女性蔑視やセクハラであるという意見が大半を占めていますし、
私も概ねその通りだと思います。
ところで、
みなさんの多くはパソコンやスマートフォンといった、
インターネットに繋がる機械をお持ちかと思います。
そして、それらで手軽に全世界に情報発信する手段を心得ていると思います。
思慮深いみなさんの事ですから間違える事は無いと思いますが、
念のために助言しておきます。
この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。
赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、
実は非常に難しい事なのです。
私よりも年齢を重ねた人でさえも、
きちんと出来ない人は少なくありません。
その割に、得るものはあまり多くありません。
批判自体は簡単です。
ただし、
自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、
これは極めて高度な技術に加えて、
強い精神力も求められるのです。
これが無いままに安易に批判する。手軽に正義感を振りかざせるので、
やがてそれがクセになっていきます。
クセになっていくとどうなるか・・・
他人の失敗が許せない人間になってしまいます。
そして、失敗を悪い事だと思い込み過ぎて、
失敗するくらいならば何もしない方がいいと考え始めるようになってしまいます。
人間とは不完全なものです。
肝心な時に大きな失敗をしてしまう事もあります。
何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、
他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。
みなさんはどちらになりたいですか。」

といった内容でした。
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2014年06月06日

何を学びましたか(4)2014

日にちが経ってしまいましたが
先月、
新潟県剣道連盟「一般財団法人設立祝賀会」
がありました。

日時:平成26年5月25日(日)
会場:新潟東映ホテル

13:00から審査員会議を2時間、16:00から祝賀会でした。
使途不明金問題に端を発して
抜本的に組織の立て直しを図ったこの数年でしたが
今年2月に登記等の諸手続きを終え、
一般財団法人「新潟県剣道連盟」として再出発しました。
16時から開始された祝賀会でしたが
祝辞・挨拶だけで1時間以上かかるという長い祝賀会になりました。
その祝辞の最後には、
組織の立て直しに関して多くの助言・協力をいただいた某弁護士先生から
今後の剣道連盟が学ばなければならないこと、
今後の行動指針とすべきこと、として
「コンプライアンス」のお話がありましたので
ここに記録しておきます。

私なりに、思い出しながら以下に意訳すると

「コンプライアンス(:compliance)」
コンプライアンスは
一般的には「法令遵守」と訳されます。
つまり、文字通り解釈するなら、「法令違反をしないこと」とか
「法律や条例を遵守すること」といったことになります。

しかし、このような当たり前のことだけを求めるのであれば、
それは今後の剣道連盟の教育目標や行動指針にはなり得ません。

コンプライアンスを
今後の剣道連盟が忘れてはならないこととしてわざわざ挙げるのには、
その意味には「法令遵守」も含まれますが、
現実の組織運営としては、法令だけに留まらず、
連盟内規約の遵守、剣道人としての倫理の遵守、
そして社会貢献のために
どのようなルールを設定し、どのように運用して行くかを考えること、
さらに、
剣道連盟の会員の活動環境の整備までを含んでいるからです。

コンプライアンスの原点として、
「公正・適切な組織活動を通じ社会貢献を行なう」
とい思想があるそうです。
特に、人間形成を目的とする剣道の組織において、
法や規約の不備をつくような行為が行われれば、
剣道人としての社会的信用は失墜することになります。
これらの新潟県剣道連盟には、
他の競技連盟の模範となるべく、
法令や規約を守るだけでなく、
それ以上に積極的に社会倫理・社会貢献を遵守した行動が求められているのです。

ということだったと思います。

参考:http://www.internalcontrol-navi.com/request/compliance/outline.html
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2014年05月30日

何を学びましたか(3)2014

剣友のH先生が、月に1回、地域の剣道活動に関わる広報誌と随筆を書いておられる。
この5月で第88号になるので、7年以上続いていることになる。
まったく偶然なのだが、
前カキコミとも関連するお話が載っていたので
H先生の許可を得て、ご紹介します。

以下、
「頸城の剣」第88号(平成26年5月1日)
ホリヨシの迷走談義「命の写しは魂を込め継承」より

「形ある物は壊れる」
という宇宙最強の法則(エントロピー増大則)により、
本物だって壊れることもある。
そのときはコピーを作り、
それに魂を込めれば良いというのが「写し」だ。
逆に言うと、その魂を受け 継ぐのが本質ということになる。
しかし、形ある物が壊れるのと同様、
魂(情報)もまた諸行無常、変質し変容するのではないか。
剣道での面打ちの内容(情報)が変容するように。
物でも情報でも、維持するには大変な努力が要ります。
ですから、ものすごい努力をして維持しようとします。
それが血脈(生命・家系•伝統エ芸・武道・・・)の力であり、
社会的な尊敬を集める力につながるのです。
剣道を志しているひとり一人の心の中には
それぞれの恩師の教えの「写し」を持ち、
自らの努力、次世代 に努力を強いる努力、「魂」を継承する一方で
洗練もする努力、の三重苦といいますか三重努力が求められるのです。
ですから修行は並大抵の苦労ではなく、
途中で自分勝手な理由(心が壊れて)をつけて行動が終息することが、
残念ながら多く出てくるのです。
剣道人ひとり一人の個人に、
それぞれ関わった因縁の「写し」を魂を込めて本物に作り変えていくことが、
今に生きる我々の使命ではないかと思っています。
中学.高校生の剣道家の皆さん!
いま、自分に与えられている環境の中で、
試行錯誤しながら自分自身を大いに磨きあげてください。
それがあなたの人生を豊にする最良のアクシヨンなのですから。
そのアクシヨ ンは、師(命の写し)への恩返しにつながるのです。
(命の写し=本物を学びとる! ・・・と考えています)

以上。
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2014年05月23日

何を学びましたか(2)2014

引きつがれてきた「伝統」には
後世に残したい意味、
あるいは、
引き継ぐべき目的があるのではないか。
などと最近は考えています。

例えば

上越市の少年剣道指導の伝統を引き継ぎ、
さらに次世代に伝えるために、
(市剣道連盟の会長でもあられた故山本辰男先生のご遺志を継いで、)
(誰に頼まれた訳でもないのに、自分で勝手に使命感をもって・・・)
私が高田修道館の子供の指導をお引き受けして17年が経ちました。
少子化が進む中、楽しいことも残念なことも、
色々なことがありましたが、
道場スタッフや保護者の皆さんのご協力のお蔭で、
なんとかこれまで続けることができました。
ありがとうございました。

これまでに留意してきた点は、
子どもたちが、剣道を通じて健全に育ってほしい
将来にわたって剣道を続けてほしいという願いから、
勝利至上主義に偏らないこと、
基本技の習得を旨とすること、
行儀のよい子・挨拶のできる子・勉強も頑張る子を育てること、
といった、要するに「青少年育成」です。
また、市連盟における「和」も尊重して
大学で行う稽古会や週末稽古会の企画も、
剣道キャリアや年齢の違いを越えて、
小学生・中学生・一般男女、高齢者における
世代間交流に努めてきたつもりです。

さて、一方、
剣道を競技的にしか経験してこなかった世代が増えてきました。
競技実績により高校や大学に進学する場合も増えてきました。
その人たちの剣道の経験は、
同世代との試合稽古や試合のための練習システムがほとんどですから、
世代の違う年齢上位の方々との稽古を
苦手(避ける?)とする傾向があります。
連盟企画の稽古会にも、ほとんど参加されません。

そのような人たちの言い分は以下のような感じでしょうか。

「今のままでも、仲間だけと行なう時々の稽古は面白く、
試合にもそこそこ勝てる。昇段もしてきた。
道場での稽古は、
やりたい時だけ自由に参加できる場所があるだけで十分で
同年代との仲間つくりや気分転換、
と割り切って楽しくやっているので、
年上の先生方からの堅苦しい助言は聞きたくない。
生真面目な先生や先輩などがいる道場の色々な制約は避けて、
今までやってきた剣風のままで
仲間や後輩と
やりたいときだけ気楽に稽古していきたい。」

もし、このような風潮が
今後、本当に増していくのだとすると
私としては
色々と思うところはあるけれど、
情けなく感じるところもあるけれど、
まあ、
仕方がないのかなぁ・・
自分たちは自分たちで続けていくしかないのかなぁ・・・
と思ったりもしています。

しかし、

剣道の稽古を「楽しく」やれることは大事ですが、
道場自体の雰囲気が「気楽」「楽(らく)」では
子供たちの心身の発達や鍛錬、
あるいは先生方の武道の修業には成り得ません。
暑さ・寒さに負けず毎回の稽古に通うのが子供たちの修業。
その子供を見守るのは親の修業。
指導者は、
子どもたちの将来の姿を信じて
道場に立ち続けるのが修業だと思っています。
雨の日も風の日も・・
そして、同好の志である先生方とは、
常に高め合うような稽古を願っています。
道場は、
そこに集まる者がそれぞれの立場で
剣道を通じて何かを得ようという場でありますので、
道場としてのそれなりのルール(取組態度)を守ることも必要になります。

そのようなことを「伝統」として引き継いでいきたいと考えています。

道場の伝統に込められた「意思(:青少年育成)」と次世代への伝承、
受け継ぎ、発展させるべき使命(:剣道を修業した者としての物の見方・考え方)、

皆さんは、剣道で何を学んでいますか?
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2014年05月16日

何を学びましたか2014

昨年から校長先生を任されているので
生徒の前で講話をする機会が多いのだが
私の話より
各学年部の先生方が生徒に対してするお話や
「学年便り」などに載せられているお話の方が
よっぽど心に響く場合が多く、
いつも感銘を受けている。

先日も「学年便り」に良いお話が載っていたので
それを書かれた先生の許可を得、以下にご紹介します。

転載
「この事故から何を学びましたか?」

16日(月)韓国南部•珍島(チンド)周辺海域を航行中の旅客船「セウォール号」が沈没し,
多くの死者,行方不明者を出しました。
今なお,捜索が続いています。
この事故では,船長をはじめ乗組員の果たすべき職務放棄が話題となりました。
一方で,命の危険性を顧みず,必死に救助のために奮闘した人もいます。
韓国の中央日報では,次のよう記事が書かれていました。

『天使の声』
彼女自身も耐え難いほど怖かっただろう。
22歳、大学を休学して乗客案内を担当する乗務員として船に乗ってから
まだ1年半だった。
だが予想できない事故でも毅然としていた。
あわてる生徒たちに3〜4階を行き来してライフジャケットを配り、
「お姉さんは?」という生徒たちのあせった呼びかけには、こう答えた。
「船員は最後。君たちを救ってから、私は後から出て行くから」
セウォ−ル号沈没事故で最後まで乗客を助けて命を落とした乗務員パク•ジヨンさん(2 2)のことだ。
もう1人の人物が重なる。
3年前の3 •11東日本大震災当時、
日本の宮城県の漁村、南三睦町の 役場職員だった遠藤未希さんだ。
当時の年齢は24歳。結婚8力月の新妻だった。
マグニチュード9. 0の大地震が東北地方を襲った午後2時4 6分、
危機を感知した彼女は2階の放送室に飛び込んでマ イクを握った。
「高さ6メートルの大きな津波(地震津波)が来ています。直ちに高い場所へ避難してください。
海岸付近には絶対に近付かないでください」。
津波が陸地まで飲み込むのにかかった時間は3 0分余り、
彼女の声はずっと町全体に鳴り響いていた。
その差し迫っていた叫びを聞いた7000人余りの町の人たちが、
高い場所へ避難して助かった。
結局、建物を襲った津波に飲み込まれた彼女は、
地震発生後1力月以上経ってから、
冷たい遺体で故郷の海辺に戻ってきた。
先週のセウォ−ル号事故発生以後、2人のことが脳裏から離れない。
2人ともべテランというにはまだまだ若い年齢だった。
自身が日常的に遂行していた業務が、
これほど危険千万になるということを彼女たちは知っていただろうか。
夢にも思わないような危機が目前に近づいた瞬間、
自分ができること•すべきことだけを考えて頑なにその場を守ったその力は
どこから出てきたのだろうか。
私なら、私だったら、そんなことができただろうかと思うからだ。
崇高な彼女たちの死は、人々の心を動かした。
日本人たちは大震災後3年が流れた今でも、「天使の声」という名前で遠藤未希さんを忘れていない。
彼女がマイクを握りしめて命を失った現場には追悼の足が途絶えず、
小中高校の道徳の教科書には死によって義務を果たした彼女の話が載っている。
私たちも、セウォ−ル号を最後まで守ったこの若い乗務員の名前を、長く忘れないでいたい。
日常のために簡単に忘れてしまうような、私がしているこの仕事の
重く厳重な貴任を再確認させてくれる、この「天使」のことを。


しかしながら,命は尊いものです。
亡くなったことで,彼女たちが美化されるのではなく,
やるべき職務を全うした事実があったからこそだということを
忘れてはならないと思います。
今日のニュース(平成26年4月25日現在)で,
船長に殺人罪の適用が検討されているということでした。
おそらく,職務を全うしていたら船長は命を失っていた可能性があります。
殺人罪が適用されれば,その先どのような人生を送るかわかりません。
船と運命を共にすることで美化され,
生きることは罪になる。それはあってはなりません。
私は,今回の一件でいろいろなことを考え,
命の重みについて真剣に家庭で話をしました。
震災を経験し,多くの犠牲者を出した日本だからこそ,
この事故の問題について真剣に考える必要があるのではないかと考えます。
(トモヤ ニゴリカワ)
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2014年05月12日

春のロード5京都2014-4(稽古)

5月4日
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早朝は朝稽古、
午前、武道センターで相手探して稽古、
午後、学連OB稽古会 などで、
終日、稽古して過ごしました。

長時間の稽古は、腰が耐えられないので
休み休みですが・・・・

5月5日
朝稽古、
5日の最終日は一般参加者が激減するので
元立ちには懸かり放題でした。

その後、メモ帳で集計したところ
この春のロード京都2014では
計40名(8段21名)の先生と稽古をお願いすることができました。
ロードが終わってみれば、
色々な方から頂いたアドバイスを教訓として
・お相手に「さらす」の大事
・打ち間に入ってからの溜めの大事
・呼吸力(りょく)
・身体の短距離瞬間移動と制動
・攻め込みの厳しさ
などに留意して稽古を続けようと思っています。

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今年も、武徳殿への行き帰り、心癒された「加茂の流れ」
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記)」
なんちゃって・・・
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2014年05月09日

春のロード5京都2014-2(審査)

4月30日
16:00-18:00
審査前の恒例として
大阪体育大学で稽古させていただいた。
作道師、神崎総監督、雷多先生、学生諸君など

作道師「最後のところで、自分だけ打とうとしている。
そうでなく、相手にすべてをさらすこと。
そうすると、必ず何かが生じる。そこを対処する」
の大事をご指導いただきました。
哲学的にも感じるが、最近はその通りだと思うようになってきた。
意識が極まった、いわゆる極意の境地だな。
私の場合は、これが一過性でなら、時々は生じているような気がしています。
(希望的観測です)

神崎監督とは審査の意識で約2分間、
「ずいぶんがっちりまとめてきましたね・・・」だって・・・

雷多君には
稽古時間の最初にお願いしてバカスカ打たれたので、
悔しかったので
稽古時間の最後のころに再挑戦。
またしても、バカスカ打たれる・・・

21:30 
京都、定宿となった御苑脇のホテルに着。
稽古の覚書などを読み返しながら就寝。

5月1日
5:00 起床
5:30-6:30 足が痺れてて最近は走れないので、御苑周辺を散歩。
恒例の朝食抜き。
8:00 京都市立体育館着
島根のS先生にお願いして、ウオーミングアップ。
10:00 審査開始
お一人目、
全てをさらして構えていたら(つもり)、
何かが生じたのか、
デイヤと面打ったらまともに出端に当たる。
なかなかの会心の一撃。
気分をよくして立ち合いを続けるものの
欲が出て、
「さらして構える」という境地はどこかに飛んで行ってしまっていたなぁ・・・
お二人目、
何故だか知らないけど、小手と小手-面しか打たない方だったので
相小手面は決めたけど、
欲を出して(この時点で不合格確定)
後半は何回か仕掛けて、全て不発・・・・

立ち合いを見てくれていた後輩の数名が
「二人目の後半がなければ、ひょっとしてという感じでしたね」
との感想をいただきました。
あっ、やっぱり・・・

ちなみに、私の審査場では
午前中の合格者は、たった1名という有様でした。
合格率1.8%・・・
これ、1次審査なんですよ・・・・・・

5月2日
6:00 起床
朝からけだるい臀部痛、左下肢の痺れ、右膝痛、両腕の筋肉痛。
昨日は、2分×2しか立ち合いしてないのに
それなりに全身総動員だったようです。

そんなこともあったので
安静をとって
8段審査二日目を見学
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この日、
何度も稽古をお願いしたことのある岩手のA先生が
8段に合格されました。
3年前の震災後、
A先生はどのような思いをもって
岩手の地で稽古されてきたのでしょうか。
その後の、復興、職務等におけるご苦労は
並大抵のことではなかったであろうと推察いたします。

きっと、とても大きく深い思いを持って過ごされて来たのだろうな・・・・
A先生、おめでとうございました。

20140502160706(1)_512.jpg
A先生、2次審査のお一人目に決めた会心の面

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またしても面

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お二人目にも面

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また、面

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最後は小手
お見事でした。


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2014年04月09日

跳馬が如く(その後)2014

跳ね馬と言えば、
自動車のフェラーリのシンボルであり、
後足で立ち上がった馬の図柄が有名です。

新潟県上越市で「跳ね馬」といえば、
妙高山(2454m)の外輪山である神奈山(1909m)の北東側中腹に出現する残雪模様が有名です。
春を告げるこの地域の象徴です。

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馬が跳ねているように見えます。

表題の「跳馬が如く」というのは、

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平成14年3月
新井尚武館道場開館10周年記念に書かれた作品のタイトルです。
内容は、
新井尚武館道場の初代館長であった故・松枝惣一氏の物語(作者:岡田氏)です。
題字は、妙高書道院の八木先生の揮毫であるそうです。

その松枝氏が急逝されてから10年が経ちました。
4月生まれの松枝氏は50歳の若さで旅立たれたため、
ご存命なら今春は60歳の還暦です。

そこで、松枝氏の親友の岡田氏のご厚意により
「故・松枝惣一先生没後10年を偲び、生誕60年を祝う会」
がありました。
日時:平成26年4月5日(土)
会場:妙高市「友楽里館」
参加者:同級生・4月会・新井尚武館道場関係者
(4月会というのは、4月生まれの仲間の会。私は4月会)

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松枝氏の大好きだったシャブリで献杯

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後は、松枝氏の大好きだったワイン大会・・・
限定品の、八海山「魚沼で候」もありました。
私は2次会にも参加したようですが
記憶がとんでます。
ご無体がありましたら、お許しください・・・

この会は、
参加者のこれから10年の旅立ちを祈念する会でもありました。
参加者の皆さんと、
ひと時ではありますが、
同じ気持ちを共有できたのではないでしょうか。
ありがとうございました。

「備忘」
以下、岡田氏による
続「跳馬が如く」(その後〜旅立ち)の終章より転載します。

「あれから10年。
一昔前の仲間たちは、白髪が増え、腹も出てきた。
同級生は還暦となり、定年退職を向かえる。
後輩の岡田も直原も、とうに惣一より年上になっていた。

尚武館道場は、その後、
弟の裕明が二代目館長に就き、指導は4月会の高橋守が引き受けた。
岡田裕(毘沙門堂社長)は三代目を継ぎ、高橋は顧問となり
師範には岡田の恩師、久保田幸正を迎えた。
居合道は、
同級生の今井恒之が引き継ぎ、
全日本居合道選手権5段の部で日本一になった。
直原は、大学教授と附属中学校の校長職に在る。
南雲繁樹は、同級生で唯一の剣道7段となり、
南魚沼市で少年剣道に励んでいる。
新井市の剣道スポーツ少年団は、
同級生の東條敬一と次世代を担う金子智一が指導を続けていた。
長尾賢司は市議会議員となり、妙高市の発展に寄与している。

それぞれの10年。
惣一は跳馬の如く春を告げ、
妙高山からみんなの活躍を見守っているに違いない。」
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2014年04月02日

ロード4留守中の大会結果2014

ロード4で大阪・岡山に出かけている間に
子供たちの大会がいくつかありました。

3月29日 
第2回上越少年武道大会
これは基本剣道技稽古法による形試合です。
高田城開府400年記念として
昨年から始まりました。

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結果(高田修道館)
小学生の部 
優勝:籾井・金井
準優勝:高橋・緑川
敢闘賞:高島・高嶋

3月30日
第34回飛燕旗争奪剣道大会
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3位:高田修道館B(斉藤・黒津・東山・西條・森田)

同30日
第55回全国選抜少年剣道錬成大会(茨城県水戸市)
2回戦惜敗
高田修道館(0)−鬼倉道場(3)
選手:北島・田中・中村・篠原・中西

以上の大会、
引率いただいた先生方、保護者の皆様、ありがとうございました。

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2014年02月27日

大音声の気合(心広ければ、体ゆたかなり)2014

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「広心胖体」
奇しくも、剣道月刊誌3月号の特集「言葉のちから」でも
取り上げられているのですが、
この言葉を知るきっかけとなった
高橋彦松範士八段が、
今年1月28日にご逝去されました。
私は、この訃報を今月号の「剣窓」を読むまで知りませんでした。
範士は89歳、神戸市在住であられた。

範士が師範をされていた工学院大学の数馬先生によると
「師範は昨年12月24日、
奥様の看病を終えられて、自宅に帰られてから倒れられ、
神戸市内の病院で療養をされていました。
一時、会話ができるほどに回復され、
『今年の5月はあかんな』とおっしゃって
いたそうです。
1月半ばにお見舞いにゆきましたが、会話は出来ませんでした。
最後は集中治療室からでることができませんでした。」
との事情を教えていただきました。

私の敬愛していた「サムライ」がひとり逝かれました。
残念でなりません。
本当に残念でなりません・・・・

範士に関する過去のブログは以下です。

2008.9.6 広心胖体(こうしんはんたい)
http://kanjikihara.sblo.jp/article/18913233.html

2008.9.9 大音声の気合
http://kanjikihara.sblo.jp/article/19094601.html

2012.8.31 大音声の気合エピソード2
http://kanjikihara.sblo.jp/archives/201208-1.html

合掌
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2014年02月20日

本番は、心こそ 心迷わす2014

「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心ゆるすな」
(「不動智神妙禄」:沢庵禅師)

これは
「心こそが自分を迷わす原因だから、
自分の心で思うこと、感じていること
といった自分の心の動きに気をとられるな」
という意味でしょうか。

「不動智神妙録」は沢庵和尚が、
徳川幕府の兵法指南役であった柳生但馬守宗矩に
剣道の極意に関して書いて送った手紙です。
その手紙であった「不動智神妙録」が、
現代も剣の極意書として
多くの剣道家に読まれています。

昨日はソチオリンピックで
アサダマオちゃんが転んでしまいました。
金メダルをとったハニュウユヅルくんも本番で転んでいます。

まさに「心こそ 心迷わす 心なれ」です。

でも、フィギュアスケート・男子シングル・日本初のオリンピック金メダリストとなった羽生選手は
金メダルをとった直後のインタビューで

「緊張しました。やっぱり五輪はすごいと思った。
結果はすごくうれしい半面、自分の中で悔しい。
金メダルの実感が沸かないこともありますが、
震災からの復興のために自分に何ができたのか分からない。複雑な気持ちです。
(震災の当時)スケートができなくて、本当にスケートをやめようと思いました。
生活するのが精いっぱいというなかで、
大勢の人に支えられてスケートを続けることができました。
金メダルを取れたのは、
被災した人たちや支えてくれた人たちの思いを背負ってやってきたからです。
将来、プロになったとき、
震災からの復興のために何かできればと思っています。
金メダリストになれたからこそ、
復興のためにできることがあるはずです。
これがスタートになると思います。」
ということです。

羽生選手は、宮城県仙台市出身のようですが
金メダルをもらった直後のインタビューで
19歳の青年が
こういう立派な発言はなかなかできるものではないと思いました。

羽生選手のスケートは、
震災の復興という目的につながっているので
金メダルは
その過程にすぎないということなのでしょう。
彼の目線は、
ずっと先にあったから強いのかもしれない
と言っている人もいます。

我々も、
いつも何かを思い続けて、
まだまだ、もっともっと
できることがあるはずだと思います。

なんだか大切なことを思い出させてもらった気がしたので、
彼の談話も備忘しました。

「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心ゆるすな」
posted by カン at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉