2012年08月31日

大音声の気合エピソード2 in 赤倉 2012

4年前、
2008年9月3日
工学院大学の夏合宿に参加したことがあった。

その際、
師範を務められている高橋彦松範士八段(当時84歳)にお稽古を頂戴した。

先生は、猛烈な気勢と大音声の掛け声で私に稽古をつけて下さった。

剣先の攻防の中では、
私が打ち出す機会を与えてくださっているのが感じられたのだが、
私は高橋先生の気迫や気勢をもっと味わいたくて、
いつまでも負けじとばかりに「やぁやぁ」と大声を出していたことを覚えている。

その時は、
我慢できずに打ち出した私に、
押さえ小手、返し胴と対応していただき、
あろうことか、
最後には「では、勝負一本」と歩合稽古まで付き合って下さり、
稽古後の礼でも
「こんな年寄りでもお役に立てましたか?」
などという慈愛にあふれたお言葉を頂き、感無量だった。

あれ以来、高橋範士の大音声の気合を思い出すことがよくあった。

2012年8月24日、
数馬監督の取り計らいで
4年ぶりに工学院大学の合宿(in 赤倉)にお邪魔することができた。
今年は、学生有志・院生・イケガワ先生達も一緒だった。

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そして、88歳になられた高橋範士に稽古を御願いすることができた。

4年前と同じように
私に打ち出しの機会を与えて下さり
絶妙の面返し胴を、何度も頂戴した。
稽古後、私の右手の手の内の狂いについてご指摘いただいた。
(これはありがたかった)
その時、
「ワシの言うこと、真面目に聞いたらあきまへんでェ〜」
などと付け加えられたのが、なんとも可笑しかった。

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お昼休みに、4年間気になっていた範士の気合の秘密についてお聞きした。
幼少時の恩師が発声にはことさら厳しかったことや
元来、声は大きかったことなどの背景も明かしてくださったが、
思想性としては
範士曰く
「かりそめにも命のやり取りを想定した立会いにおいて、気の抜けた気合などあろうはずがない」とのことだった。

なるほど・・・

今年も合宿中の体育館正面に
「広心胖体」の部旗が掲げられていた。
紀元前430年頃、四書五経のうち「大学」の第四節に
「富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広ければ体胖(からだゆたか)なり」
とある。
工学院大学剣道部師範、高橋彦松範士が長年勤務されていた三菱電機(株)神戸単身寮の玄関に掲げられた文言であるそうだ。

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少人数の部員でも、内容は本格的

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お昼休みに温泉行きました

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お昼ごはんは「レッド焼きソバ」食べました。
赤色はトウバンジャンの色だそうです。

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お別れのお見送り
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2012年08月06日

「集中」の在り方

試合や稽古中に
「よく集中せよ」と言われますが

その「集中」の在り方について
興味深いコメントを見かけたので紹介します。

周りを見ながら余裕を持って取り組む。
それが「集中」だと思うんです。
集中というと、ひとつのモノにギューっと入り込んでいく姿を考えがちですが、
そうじゃない。
視野を広く持って、
のびのびしている状態。
それが理想的です。
(室伏広治)

このような状況をイチロー選手は
「拡散」と表現していましたが

「周りを見ながら余裕を持って取り組む。」
「視野を広く持って、のびのびしている状態」

という在り方も

「集中」が生じた際のひとつの到達点かもしれません。

この室伏選手、ロンドンオリンピック、ハンマー投げで銅メダルでした。
立派ですね。
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2012年06月09日

審判しました(2)

先日の続きですが

高体連剣道専門部による「鍔競り合い改善」の趣旨について、もう少し書き足すと


このようにルールで規制するから、言葉の解釈や場面の限定(場面は瞬時に生じて、次の場面へ移行する)をめぐって、どんどん注釈や補足事項が必要となってくる。
そして、現実の事象に適用して判定できないと「あの審判は下手」とか「高体連でない人には任せられない」といった話が聞こえてくる。

これら(「鍔競り合い改善」の趣旨)が、不当な鍔競り合いや時間空費のための試合運びに関して、審判員の見識を深めるための作られた審判講習会用資料だとすれば、なんら違和感はないし、審判員育成のためによく検討された補足事項だと思う。

問題は、
ここに示された事例に該当するような事象を忠実に判定しようとする際の不公平の取り扱いだ。

剣道の経験が浅い高校生の場合、
試合についてもなんだかよくわからない状態で一生懸命に闘っているような生徒は、
その試合展開がモタモタしているから審判員にとって現象面の見取りは容易なことが多い。
そうすると、剣道の経験が浅い高校生の場合は(本人がどれほど公明正大に試合していようとも)、中間や鍔競り合いの処理が下手なので反則が適用されやすい。

一方、剣道の経験が豊富な選手の場合は、
試合を担当している審判員の判定傾向を充分に見越した上で、
ルール規制のグレーゾーンで勝負を仕掛けるような戦術が用いられることも多い。
公明正大に試合していなくても、
攻防の展開が高速でなされることもあって、
審判員の力量によっては、現象を瞬時に分節するような見取りは難しい。
そのため、剣道の試合経験が豊富な選手の場合は、
不当な鍔競り合いや時間空費のための試合運びが見逃されやすい可能性もあるということだ。

高校生に対する指導的配慮という面の印象では
打突することなく変形の構えから鍔競り合いになる行為も見受けられた。

日本中学校体育連盟剣道競技申し合わせ事項では、
中学生の剣道を正しく導くという理念の下に
「指導」「反則」となる具体的な事例として
1.相手の打突に対して「公正を害する変形な構え」での防御姿勢又は防御
2.「公正を害する変形な構え」からの打突
3.「公正を害する変形な構え」から間合いをつめ、鍔競り合いに入る行為
4.鍔競り合いから「公正を害する変形な構え」による防御姿勢
が厳格に申し合わされ、「指導」や「反則」が適用されていたはずだ。

高校生になっても「変形の防御姿勢やそこからの攻防」はダメ出ししたいものだ・・・

特に結論はありませんが
先日、高体連で審判した際の雑感を備忘しました。
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2012年05月15日

北信越学生剣道選手権大会がありました

日時:平成24年5月13日(日)
会場:富山大学体育館
選手:4年生男子3名(ハマダ、タツミ、コンド〜)、1年生男子1名(キタジマ)
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結果:緒戦惜敗・・・
勝負に拘りがないというか、無欲というか、生真面目というか・・・

以下、この日のパンフレットの会長挨拶から抜粋して備忘いたします。〈一部修正〉

ところで、本年4月より中学校において「武道」が必修化され正課として実施されています。そのねらいは「相手を尊重・思いやる態度の育成や礼儀作法を重視し、勝敗に対して公正な態度で練習や試合にのぞむことができる資質の育成」です。剣道には、西欧スポーツと比較すると形式美を重んずる思想があります。それは形や作法を遵守し、反復することによって、作法の洗練、習熟は勿論の事、形や作法を超越し、その背後にある精神の体現(自分で身を持って経験すること)するねらいがあるからです。最高学府で学問と剣道を学ぶ剣士としても、武道必修化のねらい、特に対戦相手に対する尊敬と思いやり、言葉を変えて言えば打突動作は言うまでも無く身も心も合わせた立派な残心資質(思いやる態度)を身につけてくださることを期待する次第です。(北信越学生剣道連盟会長 恵土孝吉)

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2012年04月16日

寒いけど花見2012

4月15日

突然の快晴・・・
桜、まだ咲いてないけど、
高田修道館・土曜稽古会の合同で花見がありました。

この日は、
新津剣道大会、
国体・都道府県女子強化稽古会、
全国教職員剣道大会予選
などがあった都合で
花見は夜7時から開始。(自分は夕方から飲み始めたけどね)
参加者は、Date, Tanabe, Yagi親子, Maruyama, Tanakayasu,Midorikawa,, Hayashi, Arakawa, Ikegawa, Ikeda, Hasegawa, Nishijo家族 and Jikihara.
にぎやかでしたが、桜が咲いてなかったので、単なる夜間の屋外での飲み会となってしまいました・・・・
そして、寒かった・・・
ライトアップの工夫.jpg
桜は咲いてないけど、ライトアップの工夫できれいです。

・新津剣道大会
結果
 中学生男子 3位
 中学生女子 1回戦惜敗
 小学生   3回戦惜敗
新チーム、これからですね。

・都道府県代表・男女チーム強化稽古会
参加者(上越関係):荒川・宮田・渡邊・丸山
会場は栃尾体育館で、試合稽古などが行われたようです。

・全国教職員予選
選考結果(上越関係)
 団体戦中堅:宮田和寛(高田南城高校)
    大将:直原幹(上越教育大学)
 個人戦(高・大・教育委員会の部):池川茂樹(上越教育大学)
予選試合はあっさり終わりましたが、
参加者同士の稽古会では
普段お手合わせできない方々と濃厚な稽古時間を過ごすことができました。
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2012年01月26日

今を大切にすること

今週は雪多し。
寒いね・・・
雪多し2012.JPG
昨日の朝稽古は、除雪のために4時起床。
今日は、朝から修士論文の審査会があったので、5時起床。
雪が多くても、稽古は普通に出来るのですが
この「普通」が、明日もやってくる「普通」かどうかはわかりません。

稽古の心がけに関わることとして、以下を備忘しておくことにします。

「俺、気づいたんだけど、やり直しがきくと思うんだよ。人生って、いくらでもやり直せるんだって、そう思わない?」
確かに人生はやり直せるかもしれない。
特に、絶望と失意のあとでは、やり直せるはずだと思わないと生きていけないだろう。
だが、他に生き方を見つけるということで、単純に元に戻ればいいというわけではない。
そして、人生はやり直しがきかないと思っている人の方が、
瞬間瞬間を大切に生きていけることができるような気がする。
以上、「55歳からのハローワーク」by 村上龍さんより

明日も朝稽古と夜稽古だぜぃ。
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2011年12月23日

Pre寒稽古2011(3)

3日目

今朝は小学生6名、中学生5名も加わったので
総勢30名。
なかなかの大入りでよかった・・

切り返し
打ち込み(面、小手ー面)
約束稽古 で約50分。
元立ち7名ローテンションの地稽古を45分。
(90秒×22回)

皆さん、疲労を残すことの無い適度な稽古だったのではないでしょうか。

明日は、市連盟の稽古納め会だぜぃ。
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2011年12月04日

ぜんごさいだん

不動智神妙録 第十二節「前後際断」

「前後際断と申す事の候

 前の心をすてず
 又今の心を跡へ残すが悪敷候なり

 前と今との間をば
 きってのけよと云ふ心なり

 是を前後の際を切て放せと云ふ義なり

 心をとゞめぬ義なり」

この「前後際断」も、
心をとどめるな、
という事のようです。
ここにも
剣道の実践上の心法の要点が明言されています。
 
 
最後に
「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」について

江戸時代初期の臨済宗の僧、沢庵宗彭(たくあんそうほう)が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物。
徳川将軍家兵法指南役であった柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)から教えを請われたことに対して剣術家としての宗矩に宛てた書簡の形式で書かれたものがまとめられている。
宮本武蔵の「五輪書」などと共に、現代剣道の実践においても大きな示唆を与えている。
剣の修業上における心法の重要性が明確に示されており、この書で説かれる「不動智」は生涯の剣道を志す私達にとっても、人生の心得や心の有り様の到達点を啓示している意味において、今日的意義があるように感じる。

「心とどめぬを不動という」

不動智・・・・・
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2011年12月03日

「せっかのき」

前回の「心の置きところ」は、あらためてシミジミ読んでみると
自分の稽古において、とても参考になる部分があった。

例えば

「我心を臍の下に押込めて余所にやらずして、敵の働によりて、転化せよと云ふ、尤も左もあるべき事なり。然れども仏法の向上の段より見れば、臍の下に押込めて余所へやらぬと云ふは段が卑しくし,向上にあらず、修行稽古が時の位なり、敬の字の位なり、又は孟子の放心を求めよと云ひたる位なり、上がりたる向上の段にてはなし・・・臍の下に押込んで余所へやるまじきとすれば、やるまじと思ふ心を取られて、先の用かけ、殊の外不自由になるなり。」

とか

「何処に置かうとて思なければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、心をば何処にも置かずして敵の働きによりて、当座々々、心を其の所々にて可用心歟・・・・唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり」

の部分・・。

毎年、年末になると、
一年を振り返り、来年への思いをめぐらすせいか、
古人の著書とか格言に目が向くようだ。
そのためか、このブログも毎年12月部分には色々な引用や格言の振り返りが備忘されている。

今年は、沢庵「不動智神妙録」を紐解いたついでに
今日の備忘は「第四節 石火之機」


「石火の機と申す事の候。

 是も前の心持にて候。

 石をハタと打つや否や、光が出で
 打つと其のまゝ出る火なれば、
 間も透間もなき事にて候。

 是も心の止まるべき間のなき事を申し候。

 早き事とばかり心得候へば、悪敷候。

 心を物に止め間敷と云ふが詮にて候。

 早きにも心の止まらぬ所を詮に申し候。

 心が止まれば、我心を人にとられ申し候。

 早くせんと思ひ設けて早くせば、
 思ひ設ける心に、又心を奪われ候。

 西行の歌集に
 「世をいとふ人とし聞けはかりの宿に、心止むなと思ふはかりぞ」
 と申す歌は、江口の遊女のよみし歌なり。

 心とむなと思ふはかりぞと云ふ下句の
 引合せは、兵法の至極に当り可v申候。

 心をとどめぬが肝要にて候

 禅宗にて、如何是仏と問ひ候はゞ、
 拳をさしあぐべし。

 如何か仏法の極意と問はゞ、
 其声未だ絶たざるに、
 一枝の梅香となりとも、
 庭前の柏樹子となりとも答ふべし。

 其答話の善悪を撰ぶにてはなし。

 止まらぬ心を尊ぶなり

 止まらぬ心は、色にも香にも移らぬ也。

 此移らぬ心の体を神とも祝ひ、
 仏とも尊び、禅心とも極意とも申候へども、
 思案して後に云ひ出し候へば、
 金言妙句にても、住地煩悩にて候。

 石火の機と申すも、
 ひかりとする電光のはやきを申し候。

 たとへば、右衛門とよびかくると、
 あっと答ふるを、不動智と申し候。

 右衛門と呼びかけられて
 何の用にてか 有る可きなどゞ思案して、
 跡に何の用か抔(など)いふ心は
 住地煩悩にて候。

 止まりて物に動かされ、
 迷はさるゝ心を所住煩悩とて、
 凡夫にて候。

 又、右衛門と呼ばれて、
 をつと答ふるは、諸仏智なり。

 仏と衆生と二つ無く、
 神と人と二つ無く候。

 此の心の如くなるを、
 神とも仏とも申し候。

 言葉にて心を講釈したぶんにては、
 この一心、人と我身ありて、
 昼夜善事悪事とも、業により、
 家を離れ国を亡ぼし、
 其身の程々にしたがひ、
 善し悪しともに、
 心の業にて候へども
 此心を如何やうなるものぞと、
 悟り明むる人なく候て、
 皆心に惑わされ候。

 世の中に、心も知らぬ人は可有候。

 能く明め候人は、
 稀にも有りがたく見及び候。

 たまたま明め知る事も、
 また、行ひ候事成り難く、
 此一心を能く説くとて、
 心を明らめたるにてはあるまじく候。

 水の事を講釈致し候とても、
 口はぬれ不申候。

 火を能く説くとも、口は熱からず。

 誠の水、誠の火に触れならでは
 知れぬものなり。

 書を講釈したるまでにては、
 知れ不申候。

 食物を能く説くとても、
 ひだるき事は直り不申候。

 説く人の分にては知れ申す間敷候。

 世の中に、仏道も儒道も心を説き候得共、
 其説く如く、其人の身持なく候心は、
 明に知らぬ物にて候。

 人々我が身にある一心本来を
 篤と極め悟り候はねば不明候。

 又参学をしたる人の心が明かならぬは、
 参学する人も多く候へども、
 それにもよらず候。

 参学したる人、心持皆々悪敷候。

 此一心の明めやうは、深く工夫の上より
 出で可v申候。」

以上です。
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2011年10月30日

今年の選手宣誓

先日の全日本学生剣道優勝大会の開会式では
選手宣誓を行った昨年度優勝校の早稲田大学の選手の挨拶が
とても立派だったことにはすでに触れました。

そして、
今年度の各種スポーツ大会の挨拶や宣誓は
東日本大震災での被災が考慮されていて、
とても感動的な内容の場合が多いとも述べました。

聞く度に、涙腺も弛む程です。

今年の高校野球、春の甲子園大会の宣誓を備忘しておきます。
いつまでも、考え続けるために・・・

「宣誓。私たちは16年前、
阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、
私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、
仲間とともに頑張っておられます。
人は、仲間に支えられることで、
大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。
それは、この大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
がんばろう!日本。
生かされている命に感謝し、
全身全霊で、
正々堂々とプレーすることを誓います。
平成23年3月23日」


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2011年09月28日

K先生からのリクエスト:道場 語の由来と成立過程

福島大学の中村先生の剣道辞典からの引用です。

語の由来

道場という語は、仏教用語です。道場という語は、楚語の「bodhi-manda」の訳語で、諸仏成道の場所たる菩提樹下の金剛座をさす言葉だそうです。(菩提道場あるいは菩提場ともいう)のちに、「仏道修行の場所」あるいは「仏を祭り仏の教えを説く所−寺・寺院−」を道場と呼び、近世においては、寺格もなく住職の定まらないような寺でも仏像が安置されていれば道場と呼んだということです。
(望月信享『仏教大辞典』世界聖典刊行会、1960年)

 この道場という語が、寺院の修養道場以外の意味に用いられた例としては、鎌倉時代には管絃の稽古場を「道場」と呼んでいたそうです。ただし、中世において音楽は、「優れて宗教上の行儀」と考えられていたので、管絃の稽古は、仏道修行と一体のものと考えられていたということです。
(神田千里「中世の『道場』における死と家出」『史学雑誌』第97編9号、昭和63年)
 
これがさらに転じて、武芸の稽古場をさして「道場」というようになったのは、少なくとも江戸時代初期らしく、その具体例としては、正保2年(1645)に書かれた宮本武蔵の『五輪書』に、「とりわき兵法の道に、色をかざり、花をさかせて、術をてらひ、或いは一道場、或いは二道場などいひて、此道をおしへ」と記されているように、かなり早くから武芸の稽古場を「道場」と呼んでいたようです。
しかし、もともと芸事を稽古する場所のことは、稽古場(所)といういい方のほうが一般的で、道場をいった場合は、伝授の儀式である灌頂を行う場所という意味合いが強かったといいます。それが儀式の簡略化と、稽古場と儀式の場が一体化することにともない、稽古場も道場も同じ意味に使われるようになっていたものと考えられています。
 稽古場のことを道場と呼んだそれ以外の用例としては、近世藩校の武学校をあらわす演武場(所)・講武場(所)・武教場・武館といった呼び方や、ただ単に剣術場(所)というような、個別種目の稽古場を示す呼び方も多く使われました。
現代のように、「道場」といえば柔・剣道場、さらには弓道場をも含めていうようになるのは、武道あるいは武道場という用語が一般化し、柔・剣道場が一つ屋根の下に造られた明治末期以降のことで、武道場の略称として用いられるようになったことによるようです。


道場の成立過程

 戦国末期から江戸時代初期にかけて集大成された武芸は、当初は戦場を想定した甲胄武術であったため、稽古場も野外の広場が利用されました。
その後、教習形態が甲胄武術から素肌武術へと移行し、形や組太刀が考案されたのにともない、庭先が次第に整備され、そこに矢来を設けたり、土間に整備し直し莚を敷いたりして稽古場とするようになっていきました。
さらに、風雨を避けるため時には廊下や縁側を利用し、納屋や居間なども稽古場として利用され、それが次第に常設の稽古場へと発展していったものと推察されています。
 他方、各藩における武芸教育は、個人がそれぞれの私家道場で稽古する、私塾形式の宅稽古場が中心で、長い間堅持されてきましたが、宝暦・天明(1751〜1789)ころから、藩学の外ではあるが次第に公営の武芸稽古所が建てられはじめました。これがさらに天保・嘉永(1830〜1854)ころには、学校管内の稽古所へと編入されるようになり、屋内の稽古場がつくられるきっかけとなっていったとされています。
(石川謙『日本学校史の研究』小学館、1960)。

以上、「中村民雄:剣道辞典, 島津書房, 1994.」より
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2011年09月25日

災難に逢う時節には・・・

ネット上での検索ですが、調べてみました。
先日の
良寛(りょうかん、1758―1831)和尚が江戸の俳人「山田杜皋(とこう)」にあてた手紙の中で

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

の話し。

以下、http://www2.tokai.or.jp/kawakatu/kawakatu/jisin.htm より
(一部略、一部加筆)


原文訳:
災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、
災難に直面するがいい。
死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。
これこそ災難をのがれる妙法なのだ。

解説:
良寛の住んでいた地方に大きな地震があったらしい。
家がつぶれ、何人かの死者もでた。
そこへ安否を気遣う便りがあったのであろう。
それに対する良寛の返事には良寛らしい思いやりと人生観があふれている。 
良寛は「地震はまことに大変に候。
野僧(自分のこと)、草庵は何事もなく、親類中死人もなく、めでたく存じ候」
と簡潔に状況報告をし、こうした災難に逢った人もいるのに自分が生きながらえ、
「かかる憂き目を見るがわびしい」と嘆く。
いかにも良寛らしい思いやりを述べているのだが、
この後に上の見出し文が続く。
いかにも禅僧らしい考え方だし、仏教の基本的な人生への対処の姿勢なのだが、
実は、誤解を招きやすい。

これは、
災難に逢うときには災難に逢え、死ぬときには死ね、などと説くのは、
仏教で重視する「今を最大限に生きる」ことを説いているのである。
「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はいまだ来たらず」
(『中部経典(ちゅうぶきょうてん)』)というのと同じことである。
災難に逢い、死に面している「今」を生きることの中には過去が読み込まれ、
未来への対処が織り込まれているのであって、
災難を避け、乗り越える努力を精いっぱいしてきたことが前提にある。
病気になったら医者にかかり、養生し、
生きるための手だてを充分につくさなければならない。
食えるための方策と努力を最大限に考えるのは当然のことなのである。 
そのうえで、「今」の現実の問題として、死や災難が私のうえに襲ってきている。
これは良い悪いの問題ではない。いやおうなしの現実のことがらである。
このときに「ああしておけばよかった」と
過去を振り返って愚痴を言ってもしかたがないし、
「こうなってくれないかな」といたずらに未来を夢みても無益であろう。
この現実、この「今」を自分が生き抜かなければならないのだし、
その覚悟をみずからにせよ、と言っているのである。

苦しい状況におかれた「私」が
どのような心構えで進んでいったらいいのか、
という生き方論なのである。
そのためには、
自分のおかれた現状を「あるがままに」見、
その事実を一度は受け取り、ひらき直り、
そのうえでさらなる努力を続けよ。
ここからかえって前向きの積極的な生き方が展開していく、

というのである。

(奈良康明)仏教名言辞典 東京書籍
<出典>江戸の俳人、山田杜皋(とこう)にあてた手紙。『良寛全集』出典解説。
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2011年08月26日

友あり、遠方より合格メール

高校時代の剣道部の同級生M君から
先般の石川審査会で7段に合格した旨のメールをいただいた。

剣道を続けている同窓生は意外に少ない。
私が知っているのは、高校ではこのM君と歯科医のN先輩(8段受験中)だけ。
彼の合格は、素直に「超うれしい」。

音信不通だった人と、このような連絡が可能になったのも
このブログを彼が偶然見つけて連絡が可能になったから。

ブログにはこのようなメリットもあるわけだ・・・

この石川審査、
高田修道館では、
Dさんが6段に合格されました。
おめでとうございました
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2011年08月05日

上越市夏季剣道講習会(3)

夏季剣道講習会三日目

一般部の岩立範士による講習会は午前中のみ。

私は、この日も午前中は中学生受験者の形指導を行っていたので
範士からの指導稽古はいただけませんでした。

したがって、残念ですが、私は今日なされた講習内容や助言を知りません。
(誰か教えてよ・・・)

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この時間帯、私の担当した中学生達約300名は
最後に、恒例化させようとしている木刀による900本素振りを行いました。
(1000本の予定だったのですが、何故か途中で私が妥協してしまいました・・・)

午後の最後の総合稽古では、
左手の手の内の形と位置、打突時の収め方とそこへの持って行き方
などを
あ〜でもない、こ〜でもないと工夫しながら
約1時間、面ばかり打ち込んでみました。

これが出来るようになれば
“「面」最終バージョン岩立範士風”となります。
(他には、作道範士風とか、藤原範士風ってのもあります。ヘヘ)

お相手には高田修道館OBの大学生や高校生計6名に御願いできました。
(その他、ミョーセン社長、等々力のコバ、お〜浜先生)
OB達とは久しぶりだったので、稽古できるのは嬉かったのですが、
おい、君達!、全然、強くなってないぜ・・・・

講習会は、あと一日。
結構、疲れているようで(私が)、
今夜の高田修道館の稽古は休んでしまいました。
すみません・・・
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2011年08月01日

「兀々地非思量」

なんとなく、

「毎日毎日やなぁ・・・」

などと思っていたら
机の脇に積んであった資料の端にも
同様な文言が書かれているのに目が止まった。

それは
先月の三県都市対抗剣道大会でもらった資料の一部「講習会資料(作道正夫範士)」、
そこには、
「兀々と毎日毎日やなあ・・・」
とあった。

「兀々」は「ごつごつ」と読みます。
出典は「兀々地非思量」ということで、
その意味は

「兀々地(ごつごつぢ)」は、不動端座(山々がそびえるごとく)の趣きのことであり、「思量」とは思い量る、すなわち心に思うこと。「不思量」とする場合は、思い量ることのない趣き。そして「非思量」とは「思量」と「不思量」を超えた趣き

のこととされていました。

今月は、講習会、審査会、合宿、集中講義、大学院入試、審判などなど
かなりの過密さです。

毎日毎日が兀々ならば、それもまた風流・・・
posted by カン at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2011年03月30日

心がけ

今回の震災で
これからも色々と心がけたいことに関して
心に残った言葉です。
私の手帳のメモにあったものです。

出典は不明ですが

「奪い合えば、無くなる。分け合えば、足りる。譲り合えば、余る」
posted by カン at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2008年09月09日

大音声の気合

先週、工学院大学の合宿に参加した際、
師範を務められている高橋彦松範士八段(84歳)にお稽古を頂戴した。

先生は、猛烈な気勢と大音声の掛け声で稽古をつけて下さった。
私も負けじと気勢を上げるのだが、それを挫くかのように、さらに大音声の気当てを加えて下さる。

先月のブログでの教訓であった「魂を火の玉にしてぶつける」そのものだ。

工学院大学剣道部監督の数馬先生によると「昔の気合術というものの場合も、あのような気合のかけ方がそうだったのではないでしょうか」という感想だった。

剣先の攻防の中では、私が打ち出す機会を与えてくださっているのが感じられたのだが、私は高橋先生の気迫や気勢をもっと味わいたくて、打ち間に入ることもなく、いつまでも負けじとばかりに「やぁやぁ」と大声を出していた。

結局、我慢できずに打ち出した私に、押さえ小手、返し胴と対応していただき、あろうことか、最後には「では、勝負一本」と歩合稽古まで付き合って下さった。

稽古後の礼でも「こんな年寄りでもお役に立てましたか?」などという慈愛にあふれたお言葉を頂き、こういう「在り方」っていいなあと感無量だった。

お話していて判ったのだが、私が小学生だった頃(40年前)、高橋先生も私の通っていた神戸市の道場で稽古していた時期があることが判明した。現在も神戸にお住まいがある。
こういうときは、無条件に嬉しくになってしまう。

いつか神戸に行った際、再び稽古をお願いしたいと思う。
posted by カン at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2008年02月05日

剣道訓

私が少年時代を過ごした道場は
神戸少年剣道剣修会という道場なのですが
少年剣道の全盛期で、どこの剣道場も100名以上の小学生が
竹刀を振り回していた時代でした。

それは、戦後剣道の復興期でもあり、「剣道をすると頭が良くなる」とか「礼儀正しくなる」といったキャッチコピーが成功して
どんどん子供が剣道場に入門した時代でもあります。

私の頭は 剣道を始めてから良くなったりはしなかったけれど
家では勉強せよといった講話がいつもありました。
礼儀正しくなるというよりも
道場内で行儀良くしていないと
竹刀でシバかれた記憶もあります。

要するにスパルタだったんです。

そして、その道場では
稽古の前後に必ず剣道訓の音唱がありました。

師範の「剣道訓始め!」という号令で
「剣は心なり 心正しからざれば 剣また正しからず 
剣を学ばんとするものは まず心を学べ!」
と、みんなで大きな声で唱えるわけです。
よほど刷り込まれたのでしょう。
今でも時々稽古前に思い出します。

この言葉、作家の中里介山(1885生〜1944没)の小説「大菩薩峠」で有名になった島田虎之助の言葉だといわれています。

島田虎之助は、江戸末期の剣豪の一人で、男谷信友、大石進とならび幕末の三剣士といわれました。
1814年生まれで、九州の中津藩出身。
24歳の時に江戸の直心陰流(じきしんかげりゅう)の男谷道場へ入門し、剣術の修業をおこないました。
勝海舟の剣の師匠にもなりましたが、
38歳の若さで病没したそうです。
剣術以外に儒教や禅を好んで学んだことから、
「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。
すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」
という言葉を残したといわれています。

虎之助の出生地の石碑には、

「剣は心なり 心正しからざれば 剣また正しからず  
剣を学ばんと欲すれば 先ず心より学ぶべし」

と印されているそうです。

一度、旅して実物がみたいと思っています。

誰か付き合ってくれませんか。
posted by カン at 00:15| Comment(11) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2008年01月30日

指導四戒

指導三戒というのをどこかの道場の道場訓で見たことがありす。

それは、

1.剣道に対する情熱を持ち続けよ
2.愚痴と悲鳴はやめよ
3.報酬を求めず、公正に接せよ

という三つの戒めでした。

なるほど、納得です。

そこで、

剣道の四戒というのがありますが、私ども修道館では
それをもじって、「指導四戒」といたしましょう。

「指導四戒」の四つ目、
4.「やりがいのある雰囲気つくりに努めよ」というのはどうでしょうか。

指導者も 子どもも 保護者も やりがいのある雰囲気がないと続きませんよね。
しかも、自己満足に陥らずに、よい雰囲気を作るということは意外に難しいことなのかもしれません。

ちなみに、剣道四戒というのは「驚・懼・疑・惑」という
心理的な状態を戒める教えで、
「驚く」・「懼れる」・「疑う」・「惑う」ことはダメだよという教えです。

昔は昇段試験の筆記問題によく出た記憶があります。
posted by カン at 20:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉