2017年01月03日

明けましておめでとうございます2017

館長備忘録 セカンドシーズン(55)
突き抜けることを祈念しています。

そのためにも
私的な問題や怪我や体調を言い訳にせず
稽古と向き合うことが大切です。
今年は
このようなことを心がけにしたいと思います。

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1月2日 上越市剣道連盟の初稽古会がありました。

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高田修道館のちびっこ達も元気に参加しました。

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高鳥議員の激励挨拶

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稽古後に大学のMyゼミ室に様子見にいったら
お酒の差し入れが
卒業生のヒカル君とチーキク君から
(ごちそうさま)

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1月3日 大学稽古会の初稽古

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修了生のチーキクも参戦

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稽古模様1

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稽古模様2

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稽古模様3

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稽古模様4

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稽古模様5

皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。 幹

posted by カン at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2016年12月25日

稽古納め2016

館長備忘録 セカンドシーズン(54)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには
何が必要か というようなことを考えながら
一年が経とうとしています。

年末恒例、プレ寒稽古をしていました。
ただの朝稽古だけどね・・・
12月23日・24日・25日
連日、子どもたちも含めて20名以上の方々にご参加いただきながら
本日、無事終了。
今日が今年の稽古納めでした。

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来年もよろしくお願いします。

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新7段のA嬢に面の勝負を挑まれました。

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稽古の後は、剣道部員たちと大掃除しました。
一応、クリスマスケーキもどきをプレゼント。

来年は、どんな稽古ができるかなぁ・・
posted by カン at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年12月22日

審判することの難しさ2016

館長備忘録 セカンドシーズン(53)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには

これを確認しておかないと
前に進めない気がするので
過去の備忘録を加筆してみました。
少し長いよ。

先日の学生剣道オープン大会でも審判しながら感じたのですが
審判することの難しさ・・・

最初に
「速い動きを審判することの難しさ」

一般に、
剣道の技に「はやさ」を感じる理由には
お相手の技が
こちらの予測を超えて物理的に速いとき

技の打ち出しに文脈がなくて、虚をつかれるとき

打突動作に「序・破・急」があって、
予測していた運動リズムを越えた変化(加速)があったとき
などに起きます。

この中で、
若くて試合に強い剣道選手の動きにはやさを感じる場合の原因は、
「物理的に速い」ことによる場合が多いと思う。

全日本学生大会(男子)上位クラスの有名校の選手の
動きや太刀捌きの速いこと速いこと
まるでビデオ画像をコマ飛ばしで見ているかのようなスピードに感じる程です。
審判の立場で見ていても、
選手のスピードが速すぎるので、
当たってしまえば「一本」という位に、
打突の前後の運動経過や相互のやり取りの文脈とは関係なく、
選手のスピードに翻弄されてしまう場面が見受けられます。

全日本選手権でも、
優勝者の「面」の速いこと速いこと・・・
さらに、攻めのリズムにも緩急があるので、
あれほどの打ち切りと超絶のスピードがあったら、
「面」の前に打たれた「突き」などは
動きの勢いで相手の残心の局面なども帳消しにしてしまうし、
以前あったような
「面」に当たったのか、「面の辺りにあった小手」に当たったのか、
などといった判断についても、
視覚による情報処理の限界を超えているスピードでなされていたので、
審判の先生方も視覚、聴覚、運動共感能、経験を総動員して
審判しなければならないほど難しいのだろうなと推察します。
(その結果の判定なので、あれでよいと思う)。

先日のオープン大会で久しぶりにお会いした某範士によると
(某範士は、全日本選手権の決勝戦の審判もされたことがある方ですが)

某範士曰く
「技の前後のやりとりに運動共感して観ていないと
剣道の判定はできないのだが、
その世界に入り込み過ぎると
瞬時にこちらもその技に反応(判定)してしまうため
判定が早すぎて誤審が起きることもある。
かといって、
そういう感覚(技の前後の文脈に運動共感すること)を
すべて捨てて審判してしまうと、
有効打突を見落としたり判定が遅れたりする。
この辺が、審判員として、とても難しいところ・・・。」
というお話を聞いたことがあります。

速いうごきの剣道を審判することの難しさがここにあります。

次に、
「有効打突の基準にみる文化的意義」

有効打突の基準は
「充実した気勢」「適正な姿勢」「「竹刀の打突部で打突部位」
「刃筋正しく」「残心あるもの」です。
また、有効打突の判断材料や判定の説明に用いる際の要素として、
「姿勢」
「気勢」
「間合」
「体捌き」
「機会」
「手の内の作用」
を参考にします。
ここまでは良い。

一方、
全日本剣道選手権は毎年テレビで放映されていますが、
一般人には判定が解らないという意見が多数です。
それは、
選手の竹刀さばきが高速である上に
お互いの体に対してたくさんの打突が当たることが多いのに、
その打突の中から有効打突が採用される仕組みが
一般の方にはわかりにくいからです。
(最も欲しかった打突を選ぶ by サクド〜範士)

だからといって、
剣道の試合ルールは
見て楽しむことを前提に創られたものではない以上、
フェンシングのような機械的な点数化は剣道理念に馴染みません。

剣道はかりそめに竹刀を持ち、防具を着装し、
生死の間(はざま)を想定する条件で
人間力を充実させていくという修養法に重きを置くものであるし、
剣道ルールは
互いの勝ち負け(生死)の決着(一本)を
便宜上了解するための方便として定められたという性質を持ちます。

そして、振り回した竹刀が単に当たればよいということではなく、
その打突が
気・剣・体が一致した
心・気・力が統制された打突
であったかどうかを評価基準としているということをよくよく考えてみると、
剣道の有効打突の基準は、
竹刀による単なる打突を
より深く「味わう」あるいは「楽しむ」ことを可能にしている
世界的にも特殊なスポーツルールだといえるのではないでしょうか。

このように考えると、
身体能力の高低が
勝敗の行方を左右するような競技文化のあり方に
不満を感じるような方々にとっては、
「有効打突」あるいは「一本」としての視点をさらに深めることが、
剣道をより深く楽しめる世界へ導いてくれるのではないでしょうか。
なんてふうに思っています。

最後に
「剣道の有効打突をどのように捉えるか」という問い

過去の全日本剣道選手権の決勝戦における
後々に物議を招いた名場面だけでも思い出してみても

審判の目を限りなく機械に近い形で正確性を求めるならば
ルール論的には
全て、誤審
と言われても仕方ないケースが多かったのではないでしょうか。
しかし、
「先」と「攻勢の持続」、
あるいは
一連の打突経過を伴う「打ち切り」「残心」に文化的意味と比重をおけば、
打突時の時間的に僅かな速い遅いは問題にならず、
あるいは
定められた打突部位を正確に捉えていたかどうかという事実も
ちょっと横に置いといて
これらの場面は審美眼的にみて
全て適正な判定であったということができると思っています。
そして、
剣道が、打突の先か後かを競う当てっこ競技ではなく、
有効打突の攻防に文化的意味を見出す武の道である
と主張することができます。

私にとっての問題は、
小学生、中学生、高校生、大学生
そして一般といった階層の違いと判定基準の使い分けです。
私の審判活動は、これら全てに関わっているので、
教育的見地からは、スポーツルール論の立場は重要であるし、
文化的継承の視点からは審美眼的な見立ても必要になります。
そして、
ひとつの大会の最中に
この二つの立場が揺れ動かないことも必要です。

以上にようなことを再度確認しておかないと
前に進めない気がしたので
長々と備忘してみました。

最後までお読みいただいた方は
ありがとうございました。
posted by カン at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2016年12月20日

全日本学生剣道オープン大会 in 北海道2016に行ってきました

館長備忘録 セカンドシーズン(52)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには

審判も一生懸命やりたいと思います。

第11回全日本学生剣道オープン大会に行ってきました。

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日時:平成28年12月17日(土)・18日(日)
会場:北海道千歳市開基記念総合武道館

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雪の新潟から雪と極寒の北海道へ・・

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上越教育大学の剣道部員は5名の参加でした。
全員、予選リーグ敗退し、
残念ながら、二日目の決勝トーナメントには進めませんでした。

私は今年最後の審判を務めさせていただきました。
担当の試合場は、本部席の真ん前のメインコートに当たり
大会一日目の第一試合の主審から始まり
二日目の最終試合の主審で終わるという
けじめのあるめぐり合わせでした・・・・

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ついでに、男子2段の部の決勝戦も当たりました・・

夜の気温は、マイナス17度・・・
わぁ、寒いこと・・・
寒くても、居酒屋探して、飲みます・・・

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熱燗・銀鱈

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懇親会

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外は寒いので部屋飲み・・

ただの日記ですが
北海道での二日間、有効打突とは何か
について考えながら審判をしていました。


posted by カン at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年12月12日

和親旗争奪剣道大会2016がありました

館長備忘録 セカンドシーズン(51)
突き抜けることを祈念しています。
そのためには

人を育てることも大切です。

門人たちの成長が伺われる
年末の恒例、道場内対抗、和親旗争奪剣道大会がありました。
50周年記念でした。
日時:平成28年12月11日
会場:高田スポーツセンター

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今年は中学生達も試合しました。
遠路、山梨から近藤兄貴にも参加いただきました。
ありがとう。

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剣道基本技稽古法で昇級審査

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ちびっこたちの元立ちは先生方

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50周年の記念として、全員にミニトロフィー

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保護者会の気遣いが感じられます。

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子どもたちへのオリジナルクッキーが差し入れされました。
Mドクター ありがとうございました。

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プログラム作成でも色々な心配りをいただきました。

冒頭の挨拶

高田修道館設立50周年に寄せて

今年も第41回和親旗争奪高田修道館剣道大会を迎えることができました。
そして、今年は高田修道館設立50周年の年にあたっているようです。
設立50周年の意義は大きいと思いましたので、
今年の和親旗大会のプログラムの紙面をお借りして、
高田修道館の門人・OB・OGの皆さんに向けて、
私達の思いをここに残すことに致します。

道場での学びの成果は、
その時点で表れるものでなく、
皆さんひとりひとりがその後に過ごす時間の中で
形成されてゆくものかもしれません。
自分がそこで何を学んだかは、
長い時間が経たないとわからないこともあるものです。
ひとによっては、何十年経ってはじめて、
道場での教えの意味がわかるということもあるでしょう。
それでも、
道場で剣道技術を身につけたことより、
ずっと意義のあることだと思います。
学びの主人公は門人である皆さんです。
皆さんから先生と呼ばれる私たちは、
その学びについては間接的な支援をすることしかできません。
そして、私たちにできる支援のひとつは、
高田修道館が新潟県上越市に
いつまでも「道標」として「在る」ということだと考えています。
道場の指導方針や教えの内容も、あまり変わらない方が良いでしょう。
日本の伝統的な行動の仕方や考え方を尊ぶ剣道の道場というのは、
時代が変わろうとも、
伝統的な精神を守り続ける方が良いでしょう。
それは単に継承ということにとどまりません。
変わらず継承されている精神が
皆さんの故郷に「道標」として「在る」ことによって、
門人たちは何年たっても、
子供の頃の「道標」を基準として、
自分がどれくらい成長したのかを推し量ることができるという役割も果たせるのです。
そして、
このような役割をこれからも果たすためにも、
高田修道館が教えの出発点となるように、
いつまでも在り続けなければなりません。
そこに戻ると、自分にとって何が正しいのかが、わかる場所。
子供の頃の自分はどういうふうに成りたいと思っていたのかが、
思い出せる場所。
そのような場所で在り続けることが、
私たちにできる間接的な支援だと思っています。
皆さんにとっては、
そのような場所を持てたことが、
高田修道館に通ったことの大きい意義であってほしと願っています。

高田修道館設立50周おめでとうございます。
本大会の準備・運営に当たってくださった保護者会の皆様に
深甚なる感謝を申し上げます。

平成28年(2016年)12月吉日
高田修道館 館長 直原 幹








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2016年11月28日

コミュニティの変化2016

館長備忘録 セカンドシーズン(50)

突き抜けることを祈念しています。
そのためには

昨今の剣道コミュニティの変化についても
理解を深めておかないといけないのかもしれません・・

今日は、
昨日の「見取り稽古の低迷化」の後半にあたります。
以下に紹介します。

「インターネットによる剣道の視聴.コミュニケーション空間の変化」
文の筆者は、和田崇先生(県立広島大学)です。
県立広島大学准教授。博士(文学)。 専門は人文地理学,地域マネジメント論。
剣道錬士六段。

(前半略)
インターネッ卜は
剣道活動者相互の新たなコミュニケーション空間としても機能するようになり
ローカルからグローバルまで多様なスケールで
段位や年齢など利用者の立場を超えた水平的コミュニケーションを可能とした。
いくつかの剣道関連サイトでは、
剣道をめぐる様々な情報や意見が交換•共有されるとともに、
そこでの合意•調整を経て
リアル スペースにおいて稽古会が開催されるケースもみられた。
こうした動きは、
剣道活動者の交流の活発化と相互理解の促進を是とする剣道の理念を
具現化したものといえる。
しかし、
インターネットを介した水平的コミュニケーションと
そこから派生した剣道活動者間の交流は、
剣道が基底にもつ階層的構造や上下関係と相容れない実態も垣間みられた。
このように、師弟同行を稽古の基本とし、
道場など閉鎖的な物理空間での
垂直的コミュニケーションを重視してきた剣道界において、
インターネッ卜は
剣道活動者同士のコミュニケーションの空間的範囲を拡大するとともに、
コミュニケーション空間を多層化・多元化させてきた。

ということです。
(著作権は日本武道学会にあります。)

このように
コミュニケーション空間が多層化・多元化されてきたため
最近は、
自分たちだけ良ければ
という「自分たちだけコミュニティ」も散見されるようになりました。

私は

「自分たちだけ」という生き方は

やがて

(自分たちが)滅ぶ

と考えます。

高田修道館の館長としては

師弟同行を稽古の基本とし、
道場という閉鎖的な物理空間で
垂直的コミュニケーションの大事
を引き継いでいきたいと考えています。
posted by カン at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2016年11月25日

見取り稽古の低迷化の背景2016

館長備忘録 セカンドシーズン(49)
突き抜けることを祈念しています。

そのためには
見取り稽古だって大切です。

以前、作道範士から頂いた講習会資料の中に
メモ的に
「見取り稽古の低迷化」
「大会会場の巨大化(現象的レベルでの観戦)」
ということが記されていました。

なんだか気にはなっていたのですが
今年の9月に開催された日本武道学会の予稿集の中に
このことかぁ と頷ける論評があったので
以下に紹介します。

内容は、
インターネット上に構築されるサイバースペースが
剣道の新たな視聴空間およびコミュニケーション空間として
いかに機能しているか、
またそれが剣道界にどのような影響を与えているかを考察したものとされています。
文の筆者は、和田崇先生(県立広島大学)です。
県立広島大学准教授。博士(文学)。 専門は人文地理学,地域マネジメント論。
剣道錬士六段。

「インターネットによる剣道の視聴.コミュニケーション空間の変化」
マスメディアに取り上げられる機会の乏しい剣道界において,
インターネッ卜は自前の発信手段とし
2000年頃から積極的に活用されるようになった。
インターネッ卜による新たな視聴空間の創出は,
剣道のコンテンツ化と大会のイベント化を進展させることになり、
視聴者からのまなざしは
勝敗を争う競技性に主に向けられるようになった。
また、試合場から地理的に離れた場所での映像視聴は、
試合者の気勢や試合者間の駆け引きを感じ取りにくく、
目に見える現象面のみをもって剣道を評価する傾向を生じさせた。
(後略)(著作権は日本武道学会にあります。)

こういうことが
「見取り稽古の低迷化」
「大会会場の巨大化による現象的レベルでの観戦」
ということが起きた背景のひとつにあるのかもしれません。
posted by カン at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2016年11月24日

「この現状をどのように打破するか」という問い2016秋(2)

館長備忘録 セカンドシーズン(48)

突き抜けることを祈念しています。
そのために
気の充実と中段の「構え力」の確認に取り組みながら
秋の8段審査に行ってきました。

先の10月から11月までは
相変わらず土・日は剣道行事でびっしりでしたが
その中で10名を超える8段の諸先輩に稽古を頂く機会に恵まれました。
地方に住む剣道家としては
とてもありがたいことです・・・
頂戴したアドバイスを数点にまとめて
・初太刀の面へのこだわりを強く持ちながら
・いつでも打てる中段の構えと左足の備え
・打ち切りへのこだわり
を確認しながら稽古に努めました。

結果は出せませんでしたが
吹っ切れていた以前の頃の立会に戻ってきた感覚が
感じられたのが収穫かもしれません。

そして、思い至ったのは
受験生レベルの不安を感じているようでは
ブレイクスル〜できないということ。
8段位ならば
「ここでしょう!」、「こうでしょう!」
という機会に迷うことなく打ち込めるような立会ができなければ
お話しにならないということでした。

なんだか、
少しマシな心持ちになれそうな気がしています。

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会場は久しぶりに日本武道館

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合格者。相変わらず少ないこと・・

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翌日は7段審査だったので、A嬢の応援。

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A嬢、218B 7段突破! 苦節11回目。
おめでとうございました。
香川大学の山ちゃん先生、筑波大学のユウジ先生、
A嬢が7段になったら何か約束していたような気がするのですが、私の記憶違いでしょうか・・・

私も教え子に負けてはいられません・・
posted by カン at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書

2016年10月28日

「この現状をどのように打破するか」という「問い」2016秋

館長備忘録 セカンドシーズン(47)
突き抜けることを祈念しています。

そのために
「この現状をどのように打破するか」
という「問い」と闘っています。

そのための参考にと 過去のブログをひもといてみました。
そしたら、こんなこと書いてありました。
自分で書いたくせに忘れてたんだけど
備忘録は大事だな・・

以前、居合のY範士に薫陶を受けたのですが
Y範士曰く
「仮に、稽古環境や時間に恵まれた人であっても
一日に稽古できる時間はせいぜい1〜3時間であろう。
この程度の稽古で先人の境地に達することは無理ではないだろうか。
現代の我々には『40年の稽古を80年の稽古にする工夫』
がなくてはならない。
すなわち、単なる技の稽古だけでなく、
道場内での所作はおろか日常の立ち振るまいすらを
自らの稽古とする工夫が必要である。」

そうなんだよね・・・・
posted by カン at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚えておきたい言葉

2016年10月06日

おんたけ剣道指導者講習会に行ってきました2016秋(その2)

館長備忘録 セカンドシーズン(46)
突き抜けることを祈念しています。

そのために
霊峰・御嶽山の麓で
我、身心脱落
(我執からの解放 by カン)
できたらいいなと思っていたのですが・・

さて、今回のおんたけ講習会では
相対する稽古では
「立合(たちあい)」意識を高めることの大事
についても考えました。

ちなみに
「立合」と「立会」は違います。
辞書的には
【立(ち)会う】は
のちの証拠にするため,また監督や検査などのために,
その場所に居合わせ確認すること。また,その人。
「第三者の−のもとで」

一方、
【立(ち)合う】の場合は
@ 相撲で,力士が仕切りのあとに立ち上がること。
A 能で競演すること。
(三省堂 大辞林)

さらに「能で競演すること」については
たちあい【立合】
猿楽,田楽(でんがく)などで競演すること。
2座または2者が別々の曲を出して競う場合と,
同一曲を相舞(あいまい)で競う場合があった。
(・・中略・・)
世阿弥の「風姿花伝」には,
猿楽の「勝負の立合の手立て」が,
「申楽談儀(さるがくだんぎ)」には「立合の心得」などが述べられている。
(世界大百科事典 第2版)
とされています。

おんたけ講習会で
作道範士の指導稽古を拝見していて
気づいたことなのですが
範士の指導稽古は
「指導」ではなく
全ての方と
相舞(あいまい)で同一曲を「立合(競演)」として
元立っておられるということ かな。

指導稽古的な視点で見取らせていただくなら
範士は
「さあ来い!、繋げ!、全部出せ!、打ちたかったら、
さあ、いつでも!」という感じで お相手を引き出し
お相手の打ち出しに足りないものがあると
「そんなんちゃうやろ」とすりあげ面、
(場合によっては、迎え突き・・・・・)
こちらの気が滞ったら
「こら!」と小手  といった感じの稽古
に見えるのですが

立合意識の視点から観取らせていただくなら
競演のために
存在を明らかにして、
さらして、
認めて、
気の充実と高まりを求めて、
詰めて
どんどん詰まっていって,
でも、欲しがらず,
自分を捨てて、
捨てるという意識すらなくなって、
最後のところで余計なことをせずに
何かが(それが)スパッと放たれる
ことを求める といった感じの稽古
に観ることができます。
(これは私が勝手に感じたことです)

そして
このように観取った場合に思えることは
このような立合意識を身体化することが
ブレイクスルーへの端緒かもしれないな
ということでした。

おぅ、哲学的になってきたぜぃ。
posted by カン at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 剣道覚書